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2017/12/24

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』は革命的アニメだ(といいな)

ときどき、レベルの高いアニメにでくわす。

『血界戦線 & BEYOND』、『いぬやしき』など、TVアニメ、それも深夜枠なのに驚くほど質が高いモノを観ると驚きを禁じ得ない。
画が美しくてよく動く。
声優も豪華なキャスティングだ。
テレビをつければ無料で観られるアニメなのに、びっくりさせられるデキだ。
よく動くアニメを視聴するのはほんとうに楽しい。快感である。

で。

Amazonビデオで、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第3章・純愛篇を観た。
これ、3,888円も取られるのだ。
TVアニメはTVをつければ無料で観られるのに、TVアニメ4本分で安くても3,800円。映画2本観るのよりも高いではないか。
イベント上映時に映画館で特別販売されるBlu-rayが1万円以上もする。
Amazonで買える、市販バージョンで7063円である。Amazonは値引きされて売られてるので、店で買うともう少し高い。

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』は、TVシリーズ2クールに相当する26本を7回に分割してシネコンで上映する形式。「第3章」で、TVでいうと10話まで上映された。

これは正式な映画興行とは異なるので、「イベント上映」と呼ばれる。
サッカーのパブリック・ビューイングや歌舞伎、演劇の中継、漫才、プロレスなどを大きなスクリーンを使って行われる「イベント」と同じように、TVアニメ(のフォーマットで制作されたアニメを)上映するというイベントだ。
アニメ作品でBlu-ray・DVDの販売促進を狙う方式は『機動戦士ガンダムUC』が始めた。
約1時間の作品を上映し、シネコン限定の先行販売Blu-rayを販売する。
珍しさもあってか、あるいはネットの評判が良かったのか、集客できた。
作画の質が高い。TV用のアニメとは一線を画し、これまで「劇場版」として作られた様々なアニメ映画の作画の質を、もしかしたら凌駕するくらいの質の高さだった。大きなスクリーンで観るに足るものだった。
それが評価されたからか、Blu-rayやDVDがよく売れた。
同じ手法を取った『宇宙戦艦ヤマト2199』もたいへん丁寧に作られていて、休眠状態にあった『ヤマト』ファン、もしくは『宇宙戦艦ヤマト復活篇』を観て失望したファンたちを覚醒させ、購買行動に走らせた。

この手法を踏襲しているのが『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』。

しかし。

視聴して驚きを覚えたのである。



何を言いたいか。
『宇宙戦艦ヤマト2202』はまことに驚くべき作品だ、ということである。



革命的と言っていい作品なのではないだろうか。








2017/12/11

そもそもスター・ウォーズはおもしろかったか?『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

まもなく『スター・ウォーズ』の新作が公開される。

ディズニーが『スター・ウォーズ』の権利を買って以来、メインストーリーとスピンオフが交互に上映され、毎年の年末には新作が世界中のシネコンのスクリーンを占拠するようになった。
そのうち、寅さん映画のように長大なシリーズになるかもしれない。

今年は、メインストーリーのエピソード8。
ルーク・スカイウォーカーか、エピソード7からの主役らしい、レイのいずれかが暗黒面に堕ちるぽい宣伝をして煽っている。





そもそも『スター・ウォーズ』はおもしろいか?
自分に問いかけると、「おもしろくないのが多いですね」と言わざるをえない。

今までに6本、『スター・ウォーズ』の映画はあった。
しかし、面白かったのは最初に公開された『エピソード4 新たなる希望』とその次の『エピソード5 帝国の逆襲』だけではないかというのが個人的な感想。

『エピソード4 新たなる希望』は、冒頭のあまりにも巨大な宇宙戦艦に度肝を抜かれ、スペースオペラが映像化されたという事実に歓喜した。
これまでの映画にはなかった映像の連続に驚きつつも、正統的な冒険物語として楽しめる娯楽映画の王道なのだ。
『エピソード5 帝国の逆襲』は、帝国軍が圧倒的な戦力で逆襲に転じ、ルークやハン・ソロたちは危機に次ぐ危機を切り抜ける、文句なし面白く、感情を揺さぶる展開があった。
ところが。
『エピソード6 ジェダイの帰還』は観ている途中で飽きてしまった。子熊のパーティーを幽霊が見守る場面で目が覚めて驚いたということしか覚えていない。
のちにレンタルで見直してみたら、ダースヴェイダーの中身、アナキン・スカイウォーカーが白塗りのオバケのようで驚いた。

ルークの父の物語は「退屈」のひとことだ。

『エピソード1』から『エピソード3』はいずれも劇場には足を運ばなかった。だいぶ経って1本100円で貸し出しになってからDVD3本を借りてきて再生を始めた。
SFXもVFXも目覚ましい進歩を遂げて、作品世界にもそれが生かされているはずなのに、眠気と戦いながら画面を見て、しかし眠気に負けてついには鑑賞を放棄した。

もともとエドモンド・ハミルトンの『キャプテン・フューチャー』や『スターキング』のようなスペースオペラは好みだった。
だから、『スター・ウォーズ』の作品世界に没入できないのは好みの違いに過ぎないかもしれない。

『エピソード1』から『エピソード7』、おそらくは『エピソード9』までは、アナキン・スカイウォーカーとルーク・スカイウォーカー、そしてその血を引くものを中心にした〈ジェダイ〉の物語だ。
ファンタジー、宮廷ドラマ、武侠映画、剣戟映画で、どっちかというとヌルい。
尊い血筋の、特別な力を備えた青年が、運命に翻弄されたながらも自立してついには父を殺し、父を超える英雄となる。
神話のない国の神話、英雄譚のなかった国の英雄譚が『スター・ウォーズ』である。

久々復活した『エピソード7』は、飽きさせず見せる映画にはなっていた。
しかしながら、ストーリーが安直。敵の基地に簡単に潜入できたり、手放しで傑作と呼べる映画ではなかった。
登場人物も〈軽さ〉が先に立って浮ついて見える。

『エピソード8/最後のジェダイ』はどうなるのだろうか。
おそらくはルーク・スカイウォーカーから新しい主役たちへのバトンタッチが描かれるのだとは思う。
これは極めて単純な理由で、『エピソード4』以来のお客さんは歳を取りすぎていて、早晩ファンでなくなるからだ。
『エピソード8/最後のジェダイ』は、新しいファンを開拓するものになるだろう。
ディズニーは『スター・ウォーズ』を100年続くような映画にすると言っている。
次なる数十年、『スター・ウォーズ』にお金を使うファンを作る戦略を取るに決まっている。

『エピソード5 帝国の逆襲』を撮ったアーヴィン・カーシュナーのような職人監督と呼ぶにふさわしい力量を持った人であれば、ぬるい貴種流離譚も面白い作品にはなる。
『帝国の逆襲』に匹敵する作品となった『ローグ・ワン』くらいのめり込んで観られる映画になったらいいのに。
ライアン・ジョンソン監督の手腕に期待したい。






2017/12/09

黒沢清『散歩する侵略者』を堪能した。

黒沢清監督の『散歩する侵略者』は、侵略テーマのSF映画である。



われわれは、米で作られる大予算映画に毒されている。
だから、侵略テーマのSF映画というと、人間とは異なる姿をした生命体が襲ってくるだとか巨大宇宙船による破壊であるとか、そういった場面が思い浮かぶ。
大予算を投入したVFXで描かれるのが当然だと思ってる。
しかも、そのたぐいの映画は少なからずあって、食傷気味でもある。

『散歩する侵略者』には、実体を持たずに人間に寄生して意識を乗っ取るエイリアンが登場する。高校生の外見を持つ男女、30代と思われる男の3人で、彼らは侵略のための先遣隊であるようだ。
高校生の外見をもったふたりが侵略の準備を進めている。週刊誌のライターは成り行き上、このふたりに加担してしまうことになる。
一方で30代と思われる男は、妻と過ごしながら変貌していく。

エイリアンは、人間から〈概念〉を学び、〈奪う〉。
〈概念〉を奪われた者が混乱する様は、とても面白い。
「自分」の概念を奪われた刑事、「仕事」の概念を奪われた広告会社の経営者など、その混乱ぶりは観ていて楽しい。





黒沢清の描く〈世界〉は静かななかにどこか不穏さを漂わせているシチュエーションが多く、目が離せなくなる。

『回路』では死人たちがインターネットを通じて死の世界から帰ってくる。
死人たちが帰ってきて、世界はしたいに荒涼を喪って荒涼となる。
『叫』では東京の湾岸地区を舞台にして、開発中のエリアの荒涼さが際立つ。
そこに出現する赤い服の幽霊。
『アカルイミライ』では、ホームドラマにしか見えない。なのに、あちこちに不穏さが隠されている東京。
『リアル~完全なる首長竜の日~』では非現実的な夢の空間とそこにいるフィロソフィカル・ゾンビの不気味さに驚く。

また、黒沢清の映画では、〈唐突〉も必ずあって、今回もまたそうだった。
あっ!と叫んでしまうシチュエーションが必ず用意されている。
今回のもやっぱり叫んでしまった。

黒沢清の映画を堪能したあとは、決まって自分がいまいる世界へ疑いを感じずにはいられなくなる。

『散歩する侵略者』もまたそうだった。
この映画の登場した侵略者がいてもおかしくはない。

しかし、もうひとつ、今回見終わって感じたことがある。
この映画の終局は悲しく、とても美しく、かすかな希望があった。
この映画は、壊れかけた夫婦の、再生のお話でもあるのだ。

必見である。





2017/11/10

睡魔と尿意に耐えてこその視覚的快楽。『ブレードランナー2049』

現代的な映画の楽しみは、観たこともないような場面を精細な大画面とすばらしい音でもって目にできるということではないだろうか。
『ブレードランナー2049』は21世紀中葉の〈未来世界〉を見せてくれる。

『ブレードランナー』ではロスアンゼルスが舞台だ。
そこは中国や日本の意匠が溢れ、中東の音楽も日本の音楽も流れている。酸性雨が降り止むこともなく陰鬱だ。『ブレードランナー』はほぼ全編、夜の場面である。
以降、「退廃的で汚れた未来」はスタンダードとなった。
数え切れないほどのマンガやアニメや映画で模倣された。



『ブレードランナー2049』は『ブレードランナー』から30年を経過したロスアンゼルスとラスベガスを舞台にしている。
曇天もしくは雨の冴えない昼の風景、赤茶けた砂塵で遠くが隠されてしまう夕景とは異なる赤に染まった世界である。
酸性雨にネオンサインも滲むロスアンゼルス、豪華なカジノホテル群が、赤い砂のなかに霞む、廃都となったと思われる、ラスベガス。






『ブレードランナー2049』は2時間43分の長さの映画である。
『ブレードランナー2049』は、美しい映像の連なりである。
雨、霧、砂嵐に霞む向こうに何ものかがある。
ゆっくりじっくりと「奥」を描こうとする画が連なる。そこに身を浸す快感というものがあると思う。
アンドレイ・タルコフスキー、押井守からの引用に思いをめぐらせつつ観るのが心地よい。

徹夜明けに観に行ったら、睡魔と戦って負けて寝てしまうと思う。
テンポの良さ、スピード感といったハリウッド的な映画の見せ方を重視していない。
この映画のなかでは静謐な時間が流れている。
だから、眠くなる。
体調を整えて鑑賞に臨むべきだ。

この映画を観る数時間前から水分摂取も控えておいたほうがいい。
上映直前にはトイレに行って尿を絞り出すように排泄しておくべきだ。
尿意に耐えかねてトイレに行くと、中断によってこの映画が我々にもたらす深い没入感が削がれてしまう。

主人公のブレードランナー、Kは人が作った人間・レプリカントだ。
というか、モブ以外の登場人物のほとんどはレプリカントだ。主人公の恋の相手はAIの〈ジョイ〉である。
人間の物語ではなくて人間になろうとした何者かの物語なのだ。


AIで身体を持たないジョイの美しさ、切なさが胸に迫る。

われわれの神々もわれわれの希望も、 もはやただ科学的なものでしかないとすれば、 われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」 ──ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』より

押井守監督の『イノセンス』冒頭のエピタフが、この映画にもまたふさわしいのである。
『ブレードランナー2049』を観終わってから、『イノセンス』を観返したくなって、観た。

『攻殻機動隊』『イノセンス』で、押井守はレプリカントに対しての意見を明確に表明していると感じた。
そして、『ブレードランナー2049』は『攻殻機動隊』『イノセンス』の色濃い影響を受けている。
なので『ブレードランナー』と『攻殻機動隊』は一緒に観ると理解が深くなる。








2017/10/31

客が逃げていってるぜ。『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』

この投稿のタイトルがすべてかもしれない。
数多い『宇宙戦艦ヤマト』ファンに不誠実極まりない。

それが、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第3章・純愛篇だった。









『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』は、TVシリーズ、それも予算が少ない質の低い作品を高いカネ取って見せてやがる。
そのようにしか思えない。

大成功を収めて評価も高かった『宇宙戦艦ヤマト2199』続篇。
『宇宙戦艦ヤマト2199』は旧作を尊重し、松本零士にも敬意を表し、旧作の矛盾点や問題点を丹念にカヴァーし、科学考証もしっかり行い、作画も美しかった。

だというのに、『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』はその美点は受け継いでいなかった。お話は雑で科学的な考証もなんのそので面白くもなんともない。
作画も、ふた昔くらいまえの、予算も制作スケジュールもきつくて作画が荒れてタッチもコロコロ変わったTVアニメを思い起こさせる。

約24分のTVアニメ4本を見るのに、

映画館では1,500円。
ネットの有料配信サービスを利用して視聴するには、3,800円。
Blu-rayで見るには映画館で売られている限定盤だかが1万1千円。
普通盤のBlu-rayが約7,000円で街なかのショップで買えば9,500円。

お金と手間がかかる。

それだけの価値があるんだろうか。
この作品は、前作『宇宙戦艦ヤマト2199』の主要スタッフが参加してない。
手腕の劣る人材ばかりで創ってる。







2017/10/13

『Cosmo Super Dreadnought まほろば -超時空戦艦-』


『Cosmo Super Dreadnought まほろば -超時空戦艦-』



















https://www.google.co.jp/search?q=Cosmo+Super+Dreadnought+%E3%81%BE%E3%81%BB%E3%82%8D%E3%81%B0+-%E8%B6%85%E6%99%82%E7%A9%BA%E6%88%A6%E8%89%A6-&rlz=1C1CHWL_zh-CNJP712JP712&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiY6tGlwNbWAhXJe7wKHejACcgQ_AUICigB&biw=1600&bih=721#imgrc=1NyIIaITp-hYBM:


2017/10/05

『宇宙戦艦ヤマト』ハリウッド実写化に期待しています。

『宇宙戦艦ヤマト』をハリウッドで実写化するというニュースがあった。
が、そのことはすっかり忘れていた。

調べてみれば、2014年の記事に行き当たった。
『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』公開を控えていた頃のニュースである。

2017年か2018年頃の公開と書いてある。



 今回のハリウッドでの実写化は、『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)やトム・クルーズ主演の『ワルキューレ』(2008年)、『アウトロー』(2012年)などの脚本家で映画プロデューサー、映画監督のクリストファー・マッカリー氏が、ハリウッドの映画製作会社スカイダンス・プロダクションズに企画を持ち込み、決定したもの。

http://www.oricon.co.jp/news/2041864/full/
ちょっと関心は持ったものの、すぐに忘れてしまった。
そして、3年ほど過ぎた。











2017/09/09

金持ちガンダムと貧乏ヤマト。

『宇宙戦艦ヤマト2202 第3章純愛篇』の予告編というものがYouTubeにアップされていたので観てみた。

このクリップはわずか1分くらい。
この作品の先行きを危惧したくなる出来である。







いい場面・すごい場面を見せるべき予告編だというのに、ごく短い尺に人物のアップが目立つ。
にもかかわらず、デッサンが微妙な感じがしないでもない。
<うまくないな>と感じる画。
マンガを描く人で、人物のアップばかり描く人がいる。身体や背景をうまく描けないからである。
アニメの場合、アニメーターの腕が怪しいということに相当する。
また、セリフの場面で口をパクパクさせるだけでいいわけだから、作画枚数を節約できる。
作画に枚数が割けない。
予算がないので、原画枚数が少ないとか絵の上手いアニメーターを連れてこれないとか、そういう事情が垣間見えはしないか。

出て来るメカは、なんだか『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』みたいだ。
コンピューターを使えば、手書きと違ってコピー&ペーストで艦船の数はやたら多くすることができる。
だけど、ペナペナだ。
艦船の外壁によくわからない文様が描いてあるだとか、へんてこなデザインの戦闘機とか、松本零士風味、スタジオぬえ風味のメカデザインが馴染んだ目には奇妙に感じ、違和感を覚える。

アニメだけど動きが少なく、メカが登場する場面ではコンピューターでそれらしく創りましたよ、というような「貧乏臭さ」が全体を覆う。

これと、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅴ 激突ルウム会戦』の冒頭11分動画がアップされていたので、比較してみよう。




一目瞭然である。

『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』はカネも手間も時間もかかってる。
安彦良和の絵をそのまま動かしている。
動きも驚異的にスムーズで、作画枚数の多さがわかる。
艦隊戦の描写を観るに、『ヤマト』の粗末さが嫌になるほどわかる。

2つの作品はカネがない作品とカネが十分にある作品の差がはっきり出ている。

予算がなくとも、優れた人手を確保できなくとも、人心を引きつける作品はまれにある。

片渕須直監督の『この世界の片隅に』がそうだ。
メジャーがそっぽを向いたが、クラウドファンディングの後押しもあり、作品を完成させたいという監督の情熱を意気に感じた素晴らしいスタッフも集まって作品ができあがり、無数のファンが口コミで作品の評判を拡散し、ついには大ヒットとなった。

『宇宙戦艦ヤマト2202』も、情熱を見せつけたら観客がシネコンに押し寄せて『君の名は。』を超える大ヒットにならないとも限らない。

フィルムには情熱が焼き付く。
それは観ているものに確実に伝わるのだ。

たとえば、『STARWARS』が好きで、80年代の日本のロボットアニメが好きな人が創った自主制作アニメである。

このアニメは、情熱がこもっていて大好きだ。
こういう情熱の伝わる作品にはできないのか?








せめて作っている人々の情熱の感じられるものなら良かったのに。
『宇宙戦艦ヤマト2202』は温度の低さばかりが目立っているように思えてならない。

乏しい予算で、動かずにアップが多く、メカはコピー&ペーストで『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』に近いようなテイストの作品になっていくのだろうか。
あと、話が面白くない。これは最大の問題である。

こんな作品を支援してカネを払う人はさて、どれくらいいるのだろうか。

見ものである。







2017/08/26

『宇宙戦艦ヤマト2202』がクラウドファンディングにシフトした方がいい理由。

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』は今後、いまこそ古くからのヤマトファンの力を借りるべきである。
ヤマトファンは、いまこそ持てる財力の限りを尽くして『ヤマト』を支えるべきときだ。




『宇宙戦艦ヤマト2202』のBlu-ray・DVDのセールスは『宇宙戦艦ヤマト2199』のときと比べて、枚数ベースで30パーセント近くダウンしている。

○宇宙戦艦ヤマト2199 【全7巻】 
巻数    初動       2週計      累計     発売日 
      BD(DVD)     BD(DVD)    BD(DVD) 
01巻 15,908(*6,101) 18,484(*7,793) 28,854(12,061) 12.05.25 ※合計 40,915枚 
02巻 19,372(*7,444) 21,025(*8,899) 27,171(10,955) 12.07.27 ※合計 38,126枚 
03巻 19,851(*8,146) 21,706(*9,494) 27,166(*9,980) 12.11.22 ※合計 37,146枚 
04巻 20,491(*8,124) 22,552(*9,609) 28,175(10,951) 13.02.22 ※合計 39,126枚 
05巻 23,318(*9,597) 24,475(10,499) 28,340(12,211) 13.05.28 ※合計 40,551枚 
06巻 21,872(*9,084) 23,953(10,738) 27,197(12,531) 13.07.26 ※合計 39,728枚 
07巻 22,714(*9,536) 24,626(10,990) 26,140(11,977) 13.10.25 ※合計 38,117枚 

○宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち(OVA) 【全7巻】 
巻数    初動       2週計      累計     発売日 
      BD(DVD)     BD(DVD)    BD(DVD) 
01巻 15,819(*4,986) 17,817(*6,081) 21,064(*7,415) 17.03.24 ※合計 28,479枚 
02巻 16,351(*5,693) 17,726(*6,509) 18,329(*6,849) 17.07.28 ※合計 25,178枚 

宇宙戦艦ヤマト 
アニメDVD・BD売り上げまとめwiki 
http://dvdbd.wiki.fc2.com/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88

乱暴に言うと『宇宙戦艦ヤマト2199』から1万3千人のファンが離脱したといえる。
Blu-rayやDVDのセールスで減少したぶんを、インターネットの有料配信が補完している可能性がないわけではない。しかし、ネット配信の配信数/売上を示すデータは見つからないので、検証はできない。

安閑としていられない状況ではない。
打開の方策はあるのだろうか。






2017/08/22

『エイリアン:コヴェナント』と『エイリアン』シリーズ終焉

『エイリアン:コヴェナント』である。

リドリー・スコットがかの傑作『エイリアン』の前日譚を描き、しかも、人類創造の秘密にも触れる作品だから、期待するしかない。

だけど、この映画の前作、2012年の『プロメテウス』は、底が抜けたヘンな映画だった。


『プロメテウス』はイカのようなナゾの宇宙生物と人類よりも二回りくらい大きい「エンジニア」と人類が名付けた異星人の格闘がクライマックスで負けた異星人からエイリアンが誕生して咆哮するという終わり方をしたのだった。
イカにしか見えないやつと、白塗り異星人の戦いは、どこか笑いたくなる雰囲気があった。
異生物ポルノ。
なんて連想したりもした。

ウェイランド・ユタニの偉い爺さんが異星人に「永遠の命が得たい」と言ったら殺されてしまう。
最後は、首だけになった人造人間のデイヴィッドと、生き残ったショウ博士が「エンジニア」の宇宙船でもって「エンジニア」の母星に向かうのだった。





3部作の2作目だという『エイリアン:コヴェナント』を見た。
リドリー・スコットらしい美しい映像が堪能できた。

しかし。
『エイリアン』は人類と意志の通じない生命体とその生命体に寄生される運命が待つ人類と、秘密の任務を携えた人造人間(と彼に邪悪な命令をする何者か)が織りなすお話という、「型」ができている。
「信号」を発する惑星に向かい、そこでなぞの生命体に遭遇してひどい目に遭う人間たちの死に様を見る。
というのが骨子である。
で、なぜか宇宙船のクルーの行動はものすごく頭が悪いものになってしまう。

ゆえに、怪生物の餌食となるに任せる。

『エイリアン:コヴェナント』も「型」どおりに話が進む。

移民宇宙船・コヴェナントは、15人のクルー、2000の冷凍睡眠している移民、1140の受精卵を載せて新天地を目指すべく航行している。
事故の発生により、クルーは目覚める。しかし、船長は焼死。
コヴェナントは、信号を受信して信号を発信する惑星に向かった。
そこで、宇宙服も身に付けないで降り立ったクルーのうちふたりが「黒い粉」を吸い込む。すると、体内でエイリアンの幼生が急速に育って、ノストロモ号やそのほかの『エイリアン』フランチャイズと同じグチョグチョで血液がドバ~という場面が繰り返される。
未知の惑星だというのに、大気の組成とかが地球に近いという理由でもって、防護服も着ないで降り立つというあたりは、「はい、伏線ですよー」ということだろうか。

 信号は、宇宙船プロメテウスからのものだった。
『プロメテウス』では首だけだったデヴィッドがクルーたちの前に現れ、同タイプのアンドロイドであるウォルターとも会う。

時代劇とかアニメで、「まったく同じ容姿のふたりが入れ替わる」というネタをやったりする。
それを思い出した。
あと『プロメテウス』の後始末をほんの数分で終わらせるというのはむしろ潔いのかと感じ入った。
首だけになったデヴィッドの復元をどうやって行ったとか、ショウ博士の末路だとか、虚無感に囚われる。

<悪役>がわかりやすいのは、良くなかったと思う。
思わず、この人でなし!なんて言いたくもなる。
まあ人間じゃないんですけどね。

問題なのは、『エイリアン』を見続けてきた人には容易に筋が読めてしまうことと、エイリアンの描写が今ひとつ怖くもグロくもなかったという点だ。
おそろしくできの悪いセルフカバー、劣化した反復だ。

映画に深い意味を見出してしまう人は、前作が『プロメテウス』という、ギリシア神話から題名が取られていることとか、『エイリアン:コヴェナント』に登場するアンドロイドの名前はデヴィッドである。すなわち、ダビデだとか、移民宇宙船『コヴェナント』のコヴェナントとは「神との契約」を意味するだとかいうことを長文で解説するブログがいっぱいあるので検索するといいと思う。

高尚なバックグラウンドがあっても、映画の面白さ・できの良さとは全く関係ないのだ、ということを『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』が実証した。

「でもつまんないでしょ」
この一言の前に、高尚な設定はなんの意味も持たない。

リドリー・スコットは第1作の『エイリアン』につながる前日譚の3部作構想を明かしてるが、だとしたらもう1本作られるということになるのだろうか。
ホラーの「寅さん」みたいに何本も作られていくような気もする。

ゲームである『Alien:Isolation』のムービーのほうが、怖くて面白かったなあと思った。YouTubeに長尺の動画が上がってるので興味のある人はどうぞ。

ゲームのムービーがことのほか楽しめたので、「映画」という形式について、あれこれ考えてしまった。
『エイリアン』シリーズが、映画である必然性はどこまであるのだろうか。
シネコンに幅広い観客層を集めたい。
そういう映画は、マーケティング優先で、あらゆる観客が楽しめるわかりやすい筋立て、規制逃れの残虐描写の回避、映像技術を使ったハデな描写で個性がないし、インパクトもなくなってしまう。
『エイリアン:コヴェナント』は、その典型と言ってもいいような映画だと思う。

マーケティングを優先したものの、興行的に失敗した。
観客の評価も低い。
このあと予定されている『エイリアン』前日譚はおそらく制作されないだろう。

今だったら、ネット配信専用のドラマシリーズとして、肉体損壊とかの描写をおろそかにしない、エグいのを最初からやったほうが客がカネを払って成功するんじゃないかと思えるのだが、どうか。


1作目はやっぱり面白いし、よく出来てると感心した。


http://amzn.to/2tQgbYb



2017/05/28

デヴィッド・リンチ『ツインピークス Season3』で死にそうになる。

赤い部屋だ。

そこにはデイル・クーパーがいる。
ローラー・パーマーもいる。

「赤い部屋」で、ローラ・パーマーはFBIのスペシャルエージェント、デイル・クーパーに向かってこう言った。
死んだ人間であるはずのローラ・パーマーが言った。


「25年後にもう一度会いましょう」



テレビシリーズから27年、映画から25年。
新シリーズの開始である。




2017/05/17

『パッセンジャー』とは男の幼稚な夢、女の悪夢である。

『パッセンジャー』は、無人島サバイバル映画の変形である。

無人島映画には、美男美女が無人島に流されてしまうというものが何本かある。
それを思い起こす。


『パッセンジャー』も、誰もいない宇宙船で美男美女が仲良くなったりそうでなくなったりして大変ですよという物語だ。


この映画の見所は、宇宙船内での優雅なサバイバル生活の様子。

しかし、この映画は大きな問題がある。
それを受容できないと映画の後半は楽しめないだろう。




2017/05/15

面白いアクション映画はこれだ!フル3DCGアニメ映画『GANTZ:O』

映画の楽しさのひとつは、これまで観たことのないものを観ることができることだ。

例えば、観たことのない風景、これまで、どの映画でも観たことのないようなアクション・シーン、意外性のあるおぞましい怪物の出現。
それらがたっぷりつまった映画がある。

『GANTZ:O』は、映画の楽しさに溢れた快作だ。






予想もしない場面がつぎつぎと出てきて、たっぷり楽しませてくれるエンタテインメントの傑作である。
話が遅滞することがない。
アクションに目を奪われて口を開けつつエンドタイトルだ。
「たっぷり楽しませてくれる」という邦画はそうそうない。
この映画は『マッドマックス:怒りのデスロード』と同様で「観る快感」に満ちている。


おぞましい怪物たちが大阪の道頓堀に出現、破壊と殺戮を繰り広げる。
それを倒すべく、GANTZによって送り込まれた、「死んだはずの人間たち」が生還を賭けて闘いに挑む。
見たことのないような斬新なアクションに次ぐアクション、停滞のない展開で、気がつけば90分、エンドタイトルだ。





この映画はフル3DCGで作られている。