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2017/12/09

黒沢清『散歩する侵略者』を堪能した。

黒沢清監督の『散歩する侵略者』は、侵略テーマのSF映画である。



われわれは、米で作られる大予算映画に毒されている。
だから、侵略テーマのSF映画というと、人間とは異なる姿をした生命体が襲ってくるだとか巨大宇宙船による破壊であるとか、そういった場面が思い浮かぶ。
大予算を投入したVFXで描かれるのが当然だと思ってる。
しかも、そのたぐいの映画は少なからずあって、食傷気味でもある。

『散歩する侵略者』には、実体を持たずに人間に寄生して意識を乗っ取るエイリアンが登場する。高校生の外見を持つ男女、30代と思われる男の3人で、彼らは侵略のための先遣隊であるようだ。
高校生の外見をもったふたりが侵略の準備を進めている。週刊誌のライターは成り行き上、このふたりに加担してしまうことになる。
一方で30代と思われる男は、妻と過ごしながら変貌していく。

エイリアンは、人間から〈概念〉を学び、〈奪う〉。
〈概念〉を奪われた者が混乱する様は、とても面白い。
「自分」の概念を奪われた刑事、「仕事」の概念を奪われた広告会社の経営者など、その混乱ぶりは観ていて楽しい。





黒沢清の描く〈世界〉は静かななかにどこか不穏さを漂わせているシチュエーションが多く、目が離せなくなる。

『回路』では死人たちがインターネットを通じて死の世界から帰ってくる。
死人たちが帰ってきて、世界はしたいに荒涼を喪って荒涼となる。
『叫』では東京の湾岸地区を舞台にして、開発中のエリアの荒涼さが際立つ。
そこに出現する赤い服の幽霊。
『アカルイミライ』では、ホームドラマにしか見えない。なのに、あちこちに不穏さが隠されている東京。
『リアル~完全なる首長竜の日~』では非現実的な夢の空間とそこにいるフィロソフィカル・ゾンビの不気味さに驚く。

また、黒沢清の映画では、〈唐突〉も必ずあって、今回もまたそうだった。
あっ!と叫んでしまうシチュエーションが必ず用意されている。
今回のもやっぱり叫んでしまった。

黒沢清の映画を堪能したあとは、決まって自分がいまいる世界へ疑いを感じずにはいられなくなる。

『散歩する侵略者』もまたそうだった。
この映画の登場した侵略者がいてもおかしくはない。

しかし、もうひとつ、今回見終わって感じたことがある。
この映画の終局は悲しく、とても美しく、かすかな希望があった。
この映画は、壊れかけた夫婦の、再生のお話でもあるのだ。

必見である。





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