Pages

2017/03/24

松本零士と『宇宙戦艦ヤマト』を考える。

「もしも、ヤマトが当初の構想のように小マゼラン星雲に行っていたとしたら」

「もしも、ヤマトにキャプテン・ハーロックが出ていたら」

「もしも、宇宙戦艦ヤマトの世界に白色彗星帝国の侵攻がなかったとしたら」

などということを昔、よく考えたものだ。

ずいぶんと前の話だけど、<ありえたかもしれない『宇宙戦艦ヤマト』>のことをよく考えていた。
いや、考えていたというよりも、妄想にふけっていた。

例えば、劇場版『銀河鉄道999』の制作スタッフによって作られた『宇宙戦艦ヤマト』が作られたらいいのに、などと考えていた。
作画力のずば抜けた小松原一男が松本零士テイストを上手にアレンジした作画、椋尾篁の寒色を基調にした美術が描き出す宇宙と、そこを征くヤマト。
そして、りんたろうだったら、ヤマトをどのように料理しただろうか。
キャプテン・ハーロックも登場させて、<松本零士の世界>との密接なリンクを見せてくれたとしたら・・・

これは、過去、私が抱いていた空想だ。
『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』を見て深く失望し、それから1年の時間を経て抱いた妄想だった。

だけど、今もリブートした『宇宙戦艦ヤマト』についてかすかに抱く想いはある。
松本零士が参加していたら、どうなっていたのだろうか。






2017/03/15

『キカイダー REBOOT』と日本特撮の「先見性」

ああ、まただ、と思った。

日本の特撮関係者および特撮専門ライターのなかには「ハリウッド製SFXムービー」に対する「日本の映画/ドラマ」「日本の特撮映画/ドラマ」の先見性や優位性を口にする人がけっこういたのだ。
ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグ、リドリー・スコットなどの名だたる監督たちが特撮を駆使した傑作を次々と発表していた頃のことだ。
日本の特撮も捨てたものではない、世界に影響を与えてきたのだという論調の記事を「特撮専門雑誌」などで読むことができた。
これもある種のナショナリズムの発露なのか。
あるいはオタク特有のひいきの引き倒しか。

東映のプロデューサー、白倉伸一郎の発言を読んで、かつて特撮雑誌などでよく目にした論調に懐かしさを覚えた。

――もともと「キカイダー」は「善と悪」をテーマにしていました。それはまさに、近年、ハリウッドで映画化されるアメコミ映画に共通するテーマのように思うのですが。
白倉:そうですね。 図らずも現代的なテーマになりました。(ヒーローの苦悩などをハードボイルドなタッチで描き出し、後のバットマンシリーズに多大なる影響を与えたフラン ク・ミラーによる傑作コミック)「バットマン: ダークナイト・リターンズ」は確か1980年代に発表されたと思うのですが、あれもやはり日本のマンガやアニメに影響されたものです。それがようやくここ数年で実写映画の分野にも広がってきたのではないかと。これはおこがましい言い方ですが、ようやく向こうが追いついてきた、という気構えでいます。要するに、われわれがアメコミのヒーロー映画の後追いをするわけではないということです。

http://toyokeizai.net/articles/-/39193

これは『キカイダー  REBOOT』という映画のパブリシティである。
なんでこんな前時代的で頭の良くない宣伝文句を口にするんだろうか。
日本のアニメは海外の映画に深い影響を与えているが、特撮もそうだったっけか。








宇宙戦艦ヤマトの堕落史0|墓碑銘

「宇宙戦艦ヤマト」から「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に至る歴史について語りたい。
西崎義展のプロデュースで作られた「ヤマト」について、個人的な見解をもとに変遷を辿っていこうと思う。

「宇宙戦艦ヤマト」の歴史とは、汚濁の歴史である。
「宇宙戦艦ヤマト」の歴史とは、失望の歴史である。

「ヤマト」を語ることとは、最初のTVシリーズにあった美点が失われ、無視され、汚されていった堕落の道筋を辿っていくことである。
製作者の意向で作品世界は書換えられ、設定は捨てられ、死者は蘇り、構築された作品世界は反故にされる。
「ヤマト」は、そんなことを繰返した。

「宇宙戦艦ヤマト 劇場版」公開当初、この映画は「愛」もしくは「宇宙愛」だとか「和」を描いたものだとか高尚そうに語っていた西崎義展は、大金をせしめてからというもの、本性を現した。
「赤坂のデスラー」と呼ばれ、赤坂で豪遊していたという。
儲けたお金でクルーザーを買い、銃火器を買って女を連れて海に乗り出した。覚醒剤を買ってキメたところを警察に捕まり、獄につながれた。
実写版『Space BattleShip ヤマト』の高額な映像化権料で買った船から海に落ちて不帰の客となり、養子・西崎彰司が権利を手に入れ、続篇に手を染めた。

『宇宙戦艦ヤマト』ファンは、最初の「宇宙戦艦ヤマト」の面影を追いかけて映画館に足を運ぶ、もしくはチャンネルを合わせては失望を味わうという繰り返しだった。
しかし、ファンとは汚濁も失望も呑み込んで、ファンであり続けた。





宇宙戦艦ヤマトの堕落史4|ヤマトよ永遠に

「ヤマトよ永遠に」は画がヒドい。もとい、好みに合わない絵柄なのでどうにも乗れない。しかも、「タイムボカン」と見まごうばかりのものすごく頭が悪い悪役が出てきて、壮大なバカなトリックを仕掛けてくる映画だった。
以上。

カネ儲けのために作られて、そこそこの興行成績を残した映画だった。
問題なのは、「ヤマトよ永遠に」は、合議制で作られたストーリーの弱点がモロに出ていたことだ。異なるアイデアをまとめきれず、破綻をきたしているからだ。
破綻の原因は、「ヤマト」において一番の決裁権を持っていた西崎義展にあったと考える。



「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」で登場した、古代守とスターシアの娘、サーシアは、上のような姿になって「ヤマトよ永遠に」に登場する。
「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」は西暦2201年の物語であり、「ヤマトよ永遠に」は西暦2203年の物語である。
イスカンダル人は1年間で17歳に成長し、それ以降は地球人と同様に成長するという設定を持ってきたので、こういう姿なのだ。

突っ込んだら負けだ。
わかってる。
1980年の時点で、ヤマトはこういう作品になってしまっていたのだ。

私たちは「機動戦士ガンダム」という巨大なインパクトに立ち会う一方で、かつてはSFファンにもてはやされた作品の悲しい変貌を目の当たりにするのだ。




2017/03/12

実写でアニメ!&細かいことはどうでもいい『トリプルX:再起動』

『ワイルドスピード』シリーズでおなじみ、ヴィン・ディーゼル主演のスパイ・アクション映画、それが『トリプルX:再起動』だ。

この映画を観て、かつて名画座でみた古い映画が、フィルムがボロボロなのかキズや線が入り、あげく何十秒、もしくは数分飛んでしまう、などということがあったりしたと言うことを思い出した。
それでも、映画を理解するのには問題はない。
途中で居眠りしても、トイレに立って数分の間、鑑賞が中断しても、映画がまるっきりわからなくなるということはない。
TV放映に合わせて、切り刻まれトリミングされても観ればちゃんとわかる。





なんてことを、この映画を観終えて思い浮かべた。
この映画は、フィルムが切れたとか、中座して見逃したわけでもなく、描写がつながらない箇所がある。



だが、なんの問題もない。