Pages

2018/02/19

日本を捨てた男たちの〈ここではなく、どこか〉

どこか、ここではない、どこかに行ってしまいたい。
そう思ったことはないだろうか。

たとえば、殺人的な混雑の朝の通勤電車のなかで密やかに殺意を抱きつつ目を閉じているとき、残業がどうにか終わって背のびしてスマホの待受を見ると午後11時を回っていたと気づいたとき、仕事の失敗について上司から、理不尽とも思える叱責をうなだれつつ長い時間にわたって聴いているとき、ああ、ここにいたくはないここにいるべきではないと思うことはないだろうか。

〈ここではなく、どこか〉

それがどこであるかわからない。
テレビで見たのか、雑誌に乗っていた写真か、広告かなんかか、青く美しい南のビーチ。
あるいは、静かで美しい街並みの、いずこか。
我々は、たえず〈どこか〉を想う存在ではないのだろうか。

たとえば、クソみたいな日本を脱出して、海外で新しい生活を始めたい。
そう思ったことはないだろうか。
わたしは、ある。
あるが、僅かな時間、〈どこか南の島のくらし〉を夢に描いてのち、ため息をついて現実に戻る。
そしてまた、イヤなことに直面して海外行きを思い描く・・・













水谷竹秀『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』は、文字通り、日本を捨てた男たちを追ったノンフィクションである。

日本は、かなり前から「希望の持てない国」になっていた。
いつの間にか大半のひとの収入は十分でなくなって、海外に行くことなど思い描けなくなった。
苦しいから海外に出てチャンスを掴もうだとか、カネ儲けしてやろうと思うものはほぼいなくなってしまった。
おのれの惨めな暮らしには目を向けたくなくて「すごい日本」「すごい日本に住む私すごい」だとか「すごい日本人と同じ日本人の私すごい」などという妄想にすがって日々をすごして困窮の度合いを進行させていくばかりだ。

そういった中で、「日本を出ていった男たち」が少なからずいる。
この本は、フィリピンに渡った中年の男たちの足取りを丹念に追っている。

国を出て華々しい活躍を遂げているというひとは一人として出てこない。
欧米の著名な大学に留学して日本に戻らず、成功を掌中にしたというサクセス・ストーリーもない。

無名の、目立つこともなく生きてきた人たちである。

運送業を営む親が脳こうそくで倒れ、会社のカネを飲み食い遊興費に使った挙句、資金繰りに困って闇金に手を出し、フィリピンに逃亡したダンプの運転手。
高校を卒業後、33年間真面目に仕事に励んでいたサラリーマンがフィリピンクラブにハマってカネを浪費し、妻と離婚してフィリピーナと結婚、フィリピンに新居を構える。
早期退職で手にした約5千万円の大金を手にするものの、新居の費用、土地購入、ビジネスへの投資、そして、妻と親族にカネをむしり取られて追い出され、著者が取材に訪れた時点では預金残高は6万円になっていた。
その他にも派遣労働者、新聞配達員もフィリピンパブでフィリピーナと出会う。
彼らは、深い仲となったフィリピーナと新生活を始めるためにフィリピンに渡る。
フィリピーナとその親族によって、日本での蓄えを吸い尽くされ、文なしになって放り出される。
フィリピンのミュージシャンが好きになっておカネをつぎ込んで使い果たしたという女性も登場する。
彼らは捨てられ、路上やビル屋上で暮らすようになる。
しかし、困窮する日本人を哀れに思って寝場所を提供したり、食事を与えたりする優しい人々が彼らに手を差し伸べる。助けてくれるフィリピン人の方々は決して裕福ではない。それでも、人を助けようとする。
彼らは深い慈愛のもと、死なずに済む。
しかし、おカネはないので、日本への帰国はできない。親族も冷たくて、飛行機のチケット代も出してくれない。
「自業自得だ」と言う者もいるかもしれない。
かれらは、〈ここではなく、どこか〉を目指した。
だが、彼らの多くは新しい希望を思い描いて、異国に向かった。
それをあざ笑うことができるだろうか。

しかし、彼らは見通しが甘かった。だから、命以外のほとんどのものを失ってしまった。
日本を捨て、同時に日本に捨てられてしまった人々が、フィリピンに多くいる。
同じように困窮して帰国のメドが立たなくなった日本人は、タイやアメリカ、中国にもいるのだ。

フィリピン人女性と知り合って、国を捨てるに至った人々は裏切られてホームレスになってしまった。そんな彼らに暖かい手が差し伸べるひともいて、生きることはできる。
日本と違って常夏で凍える不安はない。
日本で孤立し困窮し、電車に飛び込むとか、住む家も失って寒い路上で暮らすとか、古いアパートで孤独に暮らしているうちに亡くなって、腐敗するまで見つけられることのない人生とどっちがいいのだろうか。

フィリピンの人々はどうしてこうも日本人、それも困窮している日本人に優しいのだろうかと思う。
かつて、日本がまだ勢いがあったむかし、フィリピンに行くにほんじ日本の男たちはフィリピン女性とおもに金銭によって成立する関係を結んで性交渉を行った。欲望は満たされて、男たちは日本の日常に戻るが、女性は妊娠して子供を産む。男とは連絡が取れないので認知もしてもらえない。
〈やり捨て〉で生まれた日本とフィリピンの混血の子どもたちは「ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン」と呼ばれ、その数は10万とも20万とも30万とも言われる。

多くの日本人が下に見ている国、フィリピンは日本の負の部分につながっている国である。
この本はその事実を嫌というほどわからせてくれる。

フィリピンの人々はどうしてこうも日本人、それも困窮している日本人に優しいのだろうかと思う。

かつて、日本がまだ勢いがあったむかし、フィリピンに行くにほんじ日本の男たちはフィリピン女性とおもに金銭によって成立する関係を結んで性交渉を行った。欲望は満たされて、男たちは日本の日常に戻るが、女性は妊娠して子供を産む。男とは連絡が取れないので認知もしてもらえない。

〈やり捨て〉で生まれた日本とフィリピンの混血の子どもたちは「ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン」と呼ばれ、その数は10万とも20万とも30万とも言われる。

多くの日本人が下に見ている国、フィリピンは日本の負の部分につながっている国である。
この本はその事実を嫌というほどわからせてくれる。

そして、もうひとつ。

この本で描かれる「日本を捨てた男たち」は中年もしくは高齢者である。
現在の中高年には、日本で辛かったら「外国に出る」という選択肢があった。
若い世代の生きる上での選択肢としての海外留学や就労は、一部の富裕層の子どもたちを除けば経済的に難しい状況になってしまった。

カネがないから、海外に行く機会などない若い人がたくさんいる。
富裕層以外の日本人にはもはや希望などない。
カネがないから、クルマも買えないし、新しい生活を思い描けない。「希望」のない国になってしまった。
日本は先行きが暗い。
日本国内の仕事がなくなってしまい、困窮者が増える。
社会保障も年金も破綻する。
国民が現在のフィリピンのように、なんとかカネを作って「外国に出稼ぎする未来」はありうるのだ。
海外で働く日本人女性が、現地の孤独な男たちを虜にし、日本に連れてくる。
そして女性の親族が男にぶら下がり、男の蓄えを使い尽くして路上に放り出す。
そんな未来もあるのかもしれない。

さて、もう一度質問したい。

どこか、ここではない、どこかに行ってしまいたい。
そう思ったことはないだろうか。

この本で書かれていることは、私たちにも無縁ではない。
彼らを愚かだと笑うことは、できない。

















2018/02/08

お客さんを怒らせて『宇宙戦艦ヤマト2202』は失敗した。

世間では話題になっていないし、アニメ好きの人にもあまり注目されてはいないが、『宇宙戦艦ヤマト2202』第4章というものが公開された。



宇宙戦艦ヤマトはガトランティスと戦っていて、不思議な力で次々ピンチを切り抜け、驚愕すべき火力を持つロボットもしくは人が操縦する機動兵器みたいなモノも出てきてガンダムというかボトムズというか、そういったテイストも付け加えられてイスカンダル星のスターシアと約束して封印したはずの波動砲を使うかどうか悩んだ挙句、発射しました。死んだと思われたデスラーはもちろん(お約束の)あっと驚く展開で実は生きていて。
悪い意味で懐古趣味的なアニメになった。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』『新たなる旅立ち』『ヤマトよ永遠に』あたりの雑でご都合主義的な展開を蘇らせて「ヤマトらしい」アニメになった。
人物はアップの口パク、艦隊は工夫のないコピペでセンスの悪いデザインの戦艦が配置されているだけで予算がないということを隠しさえしない。2009年公開の『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』のテイストが蘇ったとでも言おうか。

『宇宙戦艦ヤマト2199』の有能で情熱的なスタッフはもういないのだ。
それを強く感じる。

退屈なお話を退屈な見せ方でTVシリーズ4本ぶん。
TVでタダならまだいいが、Amazonで3,800円も取るのだ。
映画2本ぶんという強気の値段設定なのだ。