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2016/03/16

「宇宙戦艦ヤマトのテーマは愛」だって?

我々は、戦うべきではなかった。
愛し合うべきだった!
勝利か。
……くそでも喰らえ!

『宇宙戦艦ヤマト』第24話 古代進のセリフ



ヤマトのクルーは、イスカンダル星にほど近いところまでやってきて、めざす星がガミラス星と連星であることに気づいた。
ヤマトは、デスラーの誘いに乗って、ガミラス帝星に突入する。
シリーズ最大の山場、ガミラスにおける本土決戦だ。







 『宇宙戦艦ヤマト』のクライマックス、ガミラス星での決戦である。
ヤマトはイスカンダルの近くまで来て、イスカンダルと宿敵・ガミラスが連星であることに気がついた。

2200年の科学技術でもってどうしてガミラス星とイスカンダル星が連星であることに気づかなかったのか、という疑問は持ってはいけない。
ヤマトという作品世界の根本が崩壊する。
とにかく、ガミラスまで来た。

ヤマトは着水した海は、濃硫酸の海である。
着水してからそれに気づいたヤマトは慌てて浮上するも、第3艦橋が溶け落ちた。
強硫酸の海と嵐に苛まれたヤマトは、天井から降り注ぐミサイルを避けつつ、沖田艦長の提言により、海底火山の鉱脈を波動砲で撃ち抜いた。
ガミラス中の火山が連鎖的に噴火し、地形が変化する崩壊が始まった。ガミラスは惑星ぜんたいが破滅的な破壊に見舞われた。
画面上の時間では、わずか数分で滅びた感じに見える。

ヤマトは、ガミラス星を滅亡させてしまった。

これは大変に深刻な場面である。

派手な砲撃だとか火山の噴火の場面を描く一方で、このエピソードでは、おそらくはガミラスのあちこちであったであろう無数の悲惨な死は描かれなかった。
挙句、古代が上に挙げたようなセリフを吐くのだ。
 「我々は戦うべきではなかった。愛し合うべきだった」と。

「だったらはじめから攻撃しなきゃいいじゃないか!」と突っ込んではいけない。

これが「宇宙戦艦ヤマトのテーマは愛である」と言い張る根拠となった、大事な台詞なのだから。


このシーンの、古代進の台詞全部を載せておく。
ガミラス星が滅びた直後に古代進は延々と長台詞を吐いていた。

「俺たちは小さい時から人と争って勝つことを教えられて育ってきた。学校に入るときも社会に出てからも、人と競争し勝つことを要求される。しかし、勝つ者がいれば負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる?負けた者は幸せになる権利はないというのか。今日までおれはそれを考えたことがなかった。俺は悲しい!それが悔しい!
 ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星はいずれにせよおしまいだったんだ。地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、われわれは戦ってしまった・・・!われわれがしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった!
 勝利か・・・。くそでもくらえっ!」

「イスカンダルへ行こう雪、それしかないじゃないか」

ああ、そうですね、としか言いようがない。
これだけ取り出したら、「名台詞じゃないか」という人がいるかもしれない。いや、現にこの台詞を称揚するひとはごまんといるのだ。

この台詞を導く描写はこのエピソード以前にいっさいない。伏線も何もなく、虐殺の果てに唐突に語られる「愛」に、感激どころか、なんだこれは?と思ったのが最初に見た印象だった。だって、主砲も副砲もミサイルも撃ちまくり、海底火山を波動砲で撃って、火山活動を誘発して地形が変化するほどの災厄を招き、天井都市の無数のガミラス人の住まいが破壊され、火山流に飲み込まれていくという、場面のあとであんな長口上だよ?
後付で足された場面であり、台詞であるとしか思えない。
文字通り「取ってつけた」台詞なのではないのか。

しかも、26話では滅びたガミラスから逃げ出していたデスラーと戦闘していて、2話前の「愛し合うこと」などまったく思い返されることすらない。

文脈を無視した台詞というのは、えてして強権を持った者がねじ込むことが多い。検証はできないが、古代の長台詞にはそんな痕跡を感じざるを得ない。

ボロボロになったはずのヤマトは、双子星のイスカンダル星についたときにはきれいに修復されていた。第3艦橋も修復されてる。
激戦の名残は消えている。
超高速復元能力があるとウワサされるだけのことはある。

さすがだ。

古代進が「愛し合うべきだった」などという台詞を吐くというのがひどくおかしい行為に思える。
シリーズで描かれる古代進という人物は、ガミラス人捕虜に電磁メスを持って斬りつけようとしたり、やたらと好戦的な発言が多く、目上の人間に恨みつらみを吐く。
つまり、古代進の人物設定はめちゃくちゃである、もしくはまともに設定されていなくて統一性がない。
これは『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズの制作上の問題点というか、弱点を示すものである。

このシリーズは、設定や脚本がきっちり統一されていない。
人物描写のばらつき、台詞のばらつき、科学的設定の不徹底などが露わになっている。
『宇宙戦艦ヤマト』第1テレビシリーズは、作画も統一性がなく、髪型と服装と富山敬の声で「あ、古代進だな」と判別できた。

「『宇宙戦艦ヤマト』のテーマは、愛である」「大いなる愛、宇宙愛」である。
と、西崎義展は事あるごとに繰り返して発言していた。

その実態は、おそろしく頭が悪い。
物語を盛り上げるために、ヤマトの乗組員とか地球防衛軍とか味方の異星人などがハイ!私が犠牲になります!と手を上げて特攻で命を散らしたのである。
バカの一つ覚えである。「主要な登場人物が命を投げ出す」というのは演劇や映画やドラマにいくらでも転がってる陳腐な手法だ。
ベタなお涙頂戴。
しかし、それを涙を流しながら観るひともいるのだ。

続編の『さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜』から後は、「愛」が連発されるようになった。
『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』でも、地球が移動性ブラックホールに呑み込まれようとするそのとき、古代進は親子愛で娘の救出に言ったりするに至るまで「愛」に満ちている。

さて、「我々はたたかうべきじゃなかった。愛し合うべきだった」というくだりを愛する人の文章を紹介する。
このブログのあるエントリーに匿名で書き込まれた文章に、以下のようなことが書かれていて、大笑いしてしまった。

2199はチャラチャラして気に入らない。
戦争を実体験したスタッフが作ったオリジナルとせいぜい映画などでしか戦争を知らないスタッフの違いだと思う。
遊星爆弾により焼けただれた地球はアメリカ軍の空襲で焼け野原になった日本だし、地下都市は空襲をさけ田舎に疎開した実体験によるもの。
オリジナルで相原に父親が食料を求めて暴動?に参加話も疎開した人達が食料不足に悩んでいた事が元でしょう。

一年という限られた時間の中で放射能除去装置を地球に持ち帰るミッション(何が起こるか判らない前人未踏の宇宙)には体力的に劣る女性は医療スタッフを除き不要だと思う。

旧作でガミラス本星での戦闘が終わった後の古代進のセリフには元ネタになりそうな日本人の民族性みたいなものがありまして。
戦時中墜落したB29の搭乗員を荼毘にふしたなどの実話がいくつもあるわけ。
敵国の兵士の遺体を損壊する他の民族などと決定的に違う日本人としての行動が古代進のセリフに反映されている。

字幕【テキサス親父】俺が日本を愛する理由 -Vol.12 - 戦争現地編
https://www.youtube.com/watch?v=PIPpyeJPKm8

字幕【テキサス親父】俺が日本を愛する理由 - Vol.13 - 死者に対する敬意編
https://www.youtube.com/watch?v=nUykLxVNrRM

【静岡大空襲】米搭乗員も日本人と同じに埋葬してくれて謝意【米国】
https://www.youtube.com/watch?v=ntBXAf2ATew

【米軍が驚いた】和歌山で70年続く米兵の慰霊に感謝【知られざる歴史】
https://www.youtube.com/watch?v=HYCveXu5eZA

第28回 多摩探検隊 「61年目の祈り ~青梅に墜落したB29~」
https://www.youtube.com/watch?v=EdO9hBLK6Uc

いきなりどこかの家に飛び込んできた男が、家族をみんな虐殺したあとでサメザメと泣いて、
「おれは何ということをしたんだ。我々がすべきことは殺し合いじゃない、愛し合うことだったんだ」
そういって、家に火をつけて「安らかにお休みください」と言う。

どう考えても異常だが、上の書き込みはそのようなことを言っているに等しい。
ヤマトをネタにして、日本を持ち上げたいらしいが、引用する資料のスジが悪い。悪すぎる。
日本の素晴らしさを称揚する「テキサス親父」なる存在の動画にリンクしているのも失笑を禁じ得ない。
「テキサス親父」は宗教団体「幸福の科学」のスポークスマン的な存在であり、民族差別主義に基づいて、下劣な発言を繰り返す、下劣な存在だからだ。
このへんを読むと、どういう人間かがわかる。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140107/1389050890

http://matome.naver.jp/odai/2145691028644889201


3 件のコメント:

  1. >伏線も何もなく、虐殺の果てに唐突に語られる「愛」に、感激どころか、なんだこれは?と思ったのが最初に見た印象だった。

    同感です。リメイク版『宇宙戦艦ヤマト2199』の第23話「たった一人の戦争」は、この旧作第24話の矛盾と欺瞞を見事に「撃破」していますね(笑)。旧作ではガミラスを壊滅させた波動砲が、新作ではデスラーの野望の犠牲にされそうになったガミラス人たちを救いましたね。このエピソードは、劇場版『星巡る方舟』での古代の台詞「たとえ生まれた星が違っても、俺たちは理解しあえる」に繋がっていると思います。

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    1. あの台詞を「名セリフ」だと称している人がいるのが不思議で不思議で。
      あの部分だけ切り取って名セリフだというとしたら、ストーリーはまったく無視してるわけですからね。
      はっきり言って旧ヤマトは「思い出の作品」として語られるのみになるでしょうが、その理由はストーリーの瑕疵にあるでしょう。

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  2. Bー29搭乗員の話を本で読みましたが、実際に戦った日本軍パイロットはパラシュートで降りていくB-29搭乗員に敬礼をしたらしいですが、降り立ったら、多くが虐殺されたと言います。
    それを防ぐ為、警察が保護をしたとも。
    テキサス親父の書いている事は事実を捻じ曲げた嘘しかないのです。

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