『ブレードランナー2049』は21世紀中葉の〈未来世界〉を見せてくれる。
『ブレードランナー』ではロスアンゼルスが舞台だ。
そこは中国や日本の意匠が溢れ、中東の音楽も日本の音楽も流れている。酸性雨が降り止むこともなく陰鬱だ。『ブレードランナー』はほぼ全編、夜の場面である。
以降、「退廃的で汚れた未来」はスタンダードとなった。
数え切れないほどのマンガやアニメや映画で模倣された。
『ブレードランナー2049』は『ブレードランナー』から30年を経過したロスアンゼルスとラスベガスを舞台にしている。
曇天もしくは雨の冴えない昼の風景、赤茶けた砂塵で遠くが隠されてしまう夕景とは異なる赤に染まった世界である。
酸性雨にネオンサインも滲むロスアンゼルス、豪華なカジノホテル群が、赤い砂のなかに霞む、廃都となったと思われる、ラスベガス。
『ブレードランナー2049』は2時間43分の長さの映画である。
『ブレードランナー2049』は、美しい映像の連なりである。
雨、霧、砂嵐に霞む向こうに何ものかがある。
ゆっくりじっくりと「奥」を描こうとする画が連なる。そこに身を浸す快感というものがあると思う。
アンドレイ・タルコフスキー、押井守からの引用に思いをめぐらせつつ観るのが心地よい。
徹夜明けに観に行ったら、睡魔と戦って負けて寝てしまうと思う。
テンポの良さ、スピード感といったハリウッド的な映画の見せ方を重視していない。
この映画のなかでは静謐な時間が流れている。
だから、眠くなる。
体調を整えて鑑賞に臨むべきだ。
この映画を観る数時間前から水分摂取も控えておいたほうがいい。
上映直前にはトイレに行って尿を絞り出すように排泄しておくべきだ。
尿意に耐えかねてトイレに行くと、中断によってこの映画が我々にもたらす深い没入感が削がれてしまう。
主人公のブレードランナー、Kは人が作った人間・レプリカントだ。
というか、モブ以外の登場人物のほとんどはレプリカントだ。主人公の恋の相手はAIの〈ジョイ〉である。
人間の物語ではなくて人間になろうとした何者かの物語なのだ。
AIで身体を持たないジョイの美しさ、切なさが胸に迫る。
われわれの神々もわれわれの希望も、 もはやただ科学的なものでしかないとすれば、 われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」 ──ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』より
押井守監督の『イノセンス』冒頭のエピタフが、この映画にもまたふさわしいのである。
『ブレードランナー2049』を観終わってから、『イノセンス』を観返したくなって、観た。
『攻殻機動隊』『イノセンス』で、押井守はレプリカントに対しての意見を明確に表明していると感じた。
そして、『ブレードランナー2049』は『攻殻機動隊』『イノセンス』の色濃い影響を受けている。
なので『ブレードランナー』と『攻殻機動隊』は一緒に観ると理解が深くなる。