Pages

2012/05/15

ヤマト復活篇第2部とアニメビジネスの明日

「宇宙戦艦ヤマト復活篇」公開時にできた「ヤマトクルー」というファンクラブがおもしろいプロモーションを展開した。
無料会員に向けて印刷物の会報「宇宙戦艦ヤマト航海日誌創刊号 Vol.0」を送付したのである。pdfだとかブラウザで読める電子書籍ではなく、紙のメディアを送ったのだ。
会報はほんらい、有料の「プレミアム会員」向けサービスで、その誘い水である。
紙の会報を送付したというのは、ファン向けの策としていいところを突いていると思う。
「宇宙戦艦ヤマト2199」が公開された。イベントや上映の動員を見ると、この作品を支持しているのはオールドファンだとわかる。
彼らは、TVシリーズ、映画、復活篇、2199と断続的にヤマトをフォローし続けている。とてもロイヤリティが高い。
オールドファン a.k.a 第1世代おたくは、世代的な特徴として紙媒体がとても好きだ。紙をめくってじっくり読むことと、読み終えた後で<資料>として保管するのが大好きである。(本は2冊入手して「読書用」「保管用」にするという人が多くいた。おたくをやるのはカネがかかるのだ)好きが高じて同人誌を作るものもいた。
だから、会報を送ったというのは、彼らのハートを絶妙にくすぐるのだ。ヤマトファンで会報を受け取った人のブログをいくつか読んでみたが、おおむね好評のようだ。
紙でヤマトの情報に触れる喜びは、また別格だと思う。

「宇宙戦艦ヤマト2199」の第1話・第2話が劇場でイベント上映され、DVD/Blu-rayの発売も間近だ。
この新作は、いったい誰に向けて作られているのだろうか?総監督・出渕裕はインタビューでこのように語っている。

出渕監督 「『宇宙戦艦ヤマト』の第1作目は、30年以上前の作品になりますが、決して古い作品ではなく、今の時代でも十分に通用する作品だと思っています。その作品を、さらにブラッシュアップすることで、今ならこういう形で表現してもいいんじゃないかと思って作っています。ですから、押さえるところはきっちり押さえて作っていますので、昔からのファンの方にも納得していただけると思っていますし、初めてヤマトに触れる方も新鮮な気持ちで観ていただける作品になっていると思います。食わず嫌いではなく、まず一度観て、そこで面白いかどうかを判断していただければと思っています。よろしくお願いします」

出典:出渕裕監督が語る新たなるヤマトの魅力 - 『宇宙戦艦ヤマト2199』、
   4月7日上映開始


 オールドファンに目配りをするとともに新しいファンの開拓を目論んでいる。
しかし、実際のところ古参ファンが中心になりそうだ。映画館に詰めかけた人たちの年齢層がまさにそうだ。「ヤマトクルー」への書き込みや、Amazonに書かれたレビューを読んでみても、どうやらコアなファンはオールドファンなのだろう。ちなみに、「ヤマトクルー」の書き込みはなかなか面白い。好きなこととなると饒舌に甲高い声で語り、掲示板やらブログやらで長々と書く。そういう昔ながらのおたくっぽい熱が充満している。
現在のアニメの主流は<日常系>だという。若い世代のアニメファンは「地球を滅亡から救う」という<大きな物語>には関心がないみたいだ。
「けいおん!」「日常」「坂道のアポロン」のような作品を見る人たちが、ヤマトのような古くさい作品に目を向けるだろうか?
声優さんのファンが多少は付く可能性はあるけれども、熱狂的に支持する若者たちの登場は期待できないと思う。

「宇宙戦艦ヤマト航海日誌創刊号 Vol.0」では、西﨑義展の養子、エナジオの代表・西﨑彰司が「宇宙戦艦ヤマト復活篇第2部」製作を発表している。
いや、驚いた。本当に製作するのだ。
DVD・Blu-rayのセールスが好調なのだろうか?「宇宙戦艦ヤマト復活篇ディレクターズカット」がよく売れたのか?「宇宙戦艦ヤマト2199」の予約が好調なのか?
たぶん、その通りなんだと思う。ソフトの売上/予約を分析した結果、「第2部」のゴーサインを出したんだろう。「ヤマト」はロイヤリティの高い顧客(忍耐強くもあるが)が一定数いて、その顧客層から収益を確保できると踏んだのだろう。
アニメのリメイクはけっこう色々なタイトルで試みられてきたけれども、再ブレイクを果たせずひっそり埋もれてしまった作品が多い。
「ヱヴァンゲリヲン」のような成功は稀だ。当初からのファンに加えて新しいファンも獲得できた点はすごいことだと思う。単なるリメイクではないのもいい。
過去、熱狂的に支持されていた作品でも、時が経てば忘れられていく。
その点、「ヤマト」は十数年のブランクをものともしないファンがいる。これは素晴らしいことだと思う。「ヤマト」は色々な瑕疵があるにも関わらず、いや、だからこそファンが付いたというところもある。松本零士の作品では「999」や「ハーロック」は何度かリメイクされているものの支持を受けず、徐々に忘れられていく過程にあることと比較すると、作品の生命力の違いを痛感する。

「宇宙戦艦ヤマト復活篇第2部」「宇宙戦艦ヤマト2199」に注目したい。
もし両作品を支えるコアなファン層が40〜50代の中高年だとすると、 アニメビジネスの新たな展開の試金石となる。
中高年をターゲットにしたアニメビジネスが成立しうるかどうかを占える。
少子化社会となった日本では、アニメの新規顧客は少なくなっていく一方なのは言うまでもない。
アニメの送り手たちは、ビジネスとして生き延びるために、海外展開とともに国内では子供/若年層以外のマーケット開拓を考えているのだと思う。
ターゲットは、物心ついたときからマンガを読んでアニメを見て育った中高年層。果たして鉱脈足りうるか?
アニメのリメイクや、名作マンガのアニメ化はビジネスになるかならないか?
「ヤマト」の今後の展開は、示唆に富むと思う。

とはいえ。
「宇宙戦艦ヤマト2199」が売れなければ、たぶん「宇宙戦艦ヤマト復活篇第2部」は画に描いた餅で終わる。「2199」がビジネスで成功するかどうかは、今のところ不明瞭ではある。・・・ただ、パチンコが絡むとしたら、「2199」の成否に関わらず登場するかもしれない。

さて、おれ自身もヤマトのファンだ。

劇場版1作目、「さらば宇宙戦艦ヤマト」は初日に徹夜して並んだ。そのほか、映画は全部公開時に見に行った。ほとんど客がいなかった「復活篇」にも行った。
けれども、ソフトはほとんど持っていないし、音楽(ほとんどはカセットテープを購入した)は廃棄してしまった。
だから、見返すことがない。
かつてレンタル屋でTV第1シリーズや「さらば宇宙戦艦ヤマト」、「宇宙戦艦ヤマト2」のビデオを借りてきて見返してみたら、画面のあまりの汚さと作画の荒れ具合に嫌気がさして、見るのを辞めたことがあるからだ。

「ヤマト」については、思い出のなかに留めて、記憶の中で欠落したり内容が改変したっていくのをよしとしたい。おれは同級会にも一切出ないタイプだ。初恋の相手はあの時の姿のまま、心のなかにおいておく。
というわけなので、おれは中高年のアニメビジネスには貢献できない。



2012/05/12

日本映画は貧しさと縁が切れたか?

日本映画は貧乏くさかった。


日本映画にとって長年の宿痾は、「映像が貧乏くさい」ことだった。
予算がなく製作期間も長く取れず、必然的にしょぼい画づくりになる。たまに大作と銘打って公開される映画もほとんどハリボテだった。
例えば戦争モノ大作と宣伝された映画の「連合艦隊」登場シーンがはるか昔に撮られた映画の特撮シークエンスをそのまま持って来ていたりする。
別の映画では、スペクタクルな場面が始まるかと思いきや、ナレーションで説明されて終わったりした。
かつて映画興行は洋画が圧倒的に優勢だった。
日本映画は「画面がちゃちい」「スケールが小さい」「貧乏くさい」などという理由で一般的な映画ファンからは敬遠されていた。
その昔、特撮専門雑誌で「カネさえあれば日本だってちゃちくない映像は作れる!」などと特撮映画のスタッフが吠えるインタビュー記事を読んだ覚えがある。日本の特撮映画スタッフはカネもなくて条件もよくないなかでよくやっている。ハリウッドの特撮など、とにかくカネがあれば俺たちにだってできるのだ。カネよこせ。

時は過ぎて、カネはともかくVFX/CGというツールは手に入った。
VFX/CGが進歩を遂げ、しかも比較的安価に使えるようになったのか、近年の日本映画は「貧乏たらしい映像」の解消に余念がない。
これでもかとばかりにVFX/CGをどんどん使っている。
使ってはいる。けれども、映画の質はどうなのだろうか。
製作委員会方式で比較的潤沢な制作予算が付いたり、テレビ局主導で比較的予算が潤沢な映画が増え、VFX/CGも使える現在は、いい時代になったんだろうか?
東京を水没させたり、大きなフェリーを転覆させたり、六本木ヒルズを崩壊させたり、ばかでかい城を出したり、昔の街並を再現したり。再現した昔の東京でゴジラを大暴れさせえ見せたり。(この映画全体は見ていないけれども、この場面はちょっと胸が熱くなった)
























映像のクオリティ向上?
それよりも深刻な問題を抱える日本映画


VFX/CGを使った日本映画を何本か見たものの、おもしろくないものばかり。
上述のような映画を何本かレンタル屋で借りてきて見た。海難事故だとかクライマックスに中年オトコがギターで♪スーダララーと唄う映画とか橋が閉鎖できないだとか。
確かにスケール感のある、ハリウッド風のシーンも出てくるようになった。だからと言っておもしろい映画にはならない。
見ていて、ほかの問題のほうが気になってきた。
ひとつは、脚本のどうしようもない貧弱さ。
最近の<大作風>の日本映画に共通するのが、「どうしてこんな話の運び方になるのか」と首をかしげることだ。
理屈が合わない、なにかが省略されている、面白くなるような筋書きを捨てる。
脚本にもう少し金と時間をかけられないのだろうか。脚本をチェックする、スプリクトドクターを使って質を高める努力はしないのだろうか。
それとも、製作委員会方式だったりテレビ局主導で作ったりすると、脚本は軽視してもよいという不文律でもあるのか。
あるいは、脚本はまともに仕上がっていてもその通りには撮影できないという障壁でもあるのか。

ふたつめ。演技の質の低さが気になる。
陳腐な脚本は陳腐な演技しか産まないのだろうか。
しかも、日本は映画とドラマのキャスティングがほぼ重なる。テレビの豪華キャストと映画の豪華キャストは同じ。層のうすっぺらさ。
演技の訓練を受けたことがない者ばかりがスクリーンを占拠する。いや、演技の訓練のあるなしは問題ではなくって、演技とも呼べないような何かをしている人たちばかりなのをどう考えたらいいのか、ってことだ。
しかも、テレビというフレームでも映画というフレームでも同じような演技(のようなもの)をしている。
これは同時に演技者をきっちり指導できない演出の貧困を浮き彫りにする。

園子温監督の激烈な批判は的を射ていると言わざるを得ない。
「日本映画が健全だったのは70年代まで。80年代後半から危うくなって、90年代には終わった。海外作品のようにもっと現代化してほしいのに、まるでガラパゴス状態」
「特に良くないのは、役者が芝居をしていないこと。それにカット割りも知らない人が 大作を撮っている。腐った伝統を重んじる映画評論家には、『君たちの時代は終わったよ』と墓を掘ってあげたい」。「こうした状況を引っぺがすには、僕が映画を撮り続けるしかないし、作品が ヒットすることが大切。学生の皆さんには、自分たちの未来のためだと思って、ぜひ『恋の罪』を応援してほしい。とにかく先生の言うことは聞いちゃダメ」(2011年日本大学芸術学部芸術祭トークショー

しょせん、「大きなテレビ」である


この10年ほどの日本映画で興行収入を上げているのは、人気テレビドラマの映画化とアニメばかり。 思えば「踊る大捜査線」の爆発的なヒットが現状を招いたのかもしれない。
「テレビドラマで人気の下地を作る」→「映画化」→「テレビで執拗に宣伝を繰り返して劇場に足を運ばせる」こんなサイクルを作った。これはテレビドラマから大きなカネを生み出す方法論であって、映画ではないのかもしれない。映画ではなくて、テレビドラマを使った同時多発有料イベントを映画館でやっているということだろう。
観客はふだん劇場に足を運ばないテレビドラマの視聴者で、<大きな画面で予算を多めに使ったテレビドラマを見る>ためにお金を払っているのにすぎない。
おれみたいな、テレビドラマをほとんど見ない人間は、イベントにはほぼ反応できない。
今では各局このやり方を取っている。で、それなりの収益を上げているのが困ったことだと思う。
一方で、テレビドラマとは関係なく、テレビ局が企画して制作する映画も公開されるものの、日本テレビのジブリ映画以外はさしてヒットしない。いや、それどころかコケているものばかりだ。マンガやケータイ小説の映画化の神通力もすっかり落ちてしまった。
宣伝も上映館も限られるほかの映画も、地味に公開されて地味に公開を終える。

テレビドラマの映画化で客が呼べなくなったら、次はどうするのだろうか?


日本映画はやはり貧しい。


VFXとCG、映像面では日本映画を大きく進歩させたとは思う。(正しく言えば、あらゆる国の映画をだけど)
だけど、映像は映画を構成する要素のひとつでしかない。

問題は、日本映画のシステムだ。

日本には面白い映画をつくるシステムがない、もしくはシステムがうまく機能していない。
上述のように、企画が硬直化し、演出家も演技者もスタッフも育ってはいない。
人材を育てる仕組みがうまく行っていない。
例えば、時代劇だ。
CGで昔の街並みを再現できたとしても、  古い時代の所作を演出できる監督も演じることができる者もいない。

テレビまたは「製作委員会」主導のビジネスモデルは、映画の振興なんぞこれっぽちも考えていない。
それは観客動員数において長らく洋画優勢だった状況を逆転し、日本映画優勢の原動力になった。けれども、質を伴っていない。しかし、質の低い映画に人が大挙して押しかけるという不思議な状況がなぜか続いている。
テレビで無料のドラマを見ている人をシネコンに誘い出し、カネを出させるという集金システム。それは映画というよりもイベントに近い。
この仕組みの最悪なところは、顧客満足度を追求していないことだ。
テレビ局の思惑、広告代理店の思惑、大手タレント事務所の思惑、おこぼれに与りたいマスメディアの思惑を優先し、客を省みない。
映画という仕組みに乗っかって儲けようという連中がたかっている。驚いたことにその中に映画会社も含まれている。
だから、まともな映画にはならない。
そんなビジネスに過度に依存しているといつかひどいことになるように思う。

日本映画の将来の現状はやはり貧しい。
そして、先が見えていない。