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2019/02/15

半世紀後、幻魔世界はつながった。『幻魔大戦 Rebirth』

七月鏡一+早瀬マサトの『幻魔大戦 Rebirth』は、60年代の少年漫画のクラシックなスタイルを取りながら、もっとも先鋭的と言っていい試みをしている。

『幻魔大戦 Rebirth』は、最初の『幻魔大戦』、すなわち『少年マガジン』版漫画で中断した内容を引き継いでいる。
早瀬マサト先生の仕事はすばらしい。画のタッチは、往年の石ノ森章太郎の描線を受け継いでいて、石ノ森章太郎の漫画を夢中になって読んだ頃の気分が蘇ってくる。




『幻魔大戦』は50年にも及ぶ長い歴史があって、さまざまな作品で展開し、しかも(平井和正の言葉を借りれば)まだ終わっていないのである。

『幻魔大戦』は1967年に平井和正・石ノ森章太郎共作で少年マガジンに連載が始まった。原作は平井和正といずみ・あすかで作画は石森章太郎。いずみ・あすかは、石森章太郎のペンネームである。
ストーリーは両名によって作られた。
漫画は幻魔が地球に侵攻し、超能力戦士たちがそれに対峙する場面で終了。
編集サイドからの要請による打ち切りとも、あまりにも強大な〈敵〉を設定してしまったため、作者たちが途中で放り投げたとも取れる。
さて、これからどうなるのか、とモヤモヤする終わり方をした。
単行本は少年マガジンの発行元・講談社ではなく秋田書店から上梓された。



その後、「SFマガジン」に平井和正・石森章太郎共作の『新幻魔大戦』が連載されたが、これも完結しないで終了。『新幻魔大戦』はのちに平井和正自身でノヴェライズした。

長い沈黙の期間を経て、平井和正は漫画版とは別の世界を舞台に、『新幻魔大戦』の続編として小説『真幻魔大戦』を発表。
石ノ森章太郎は漫画版から1,000年後を舞台にした『幻魔大戦』(漫画雑誌「リュウ」版)を発表する。
平井和正は『真幻魔大戦』と並行して、「少年マガジン」漫画版のノベライズを始めた。「野生時代」という角川書店の文芸雑誌に一挙掲載ののち、文庫として出版。
これが恐ろしく売れた。


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小説版『幻魔大戦』は当初、少年マガジン版漫画を丹念に文字で追っていた。
いつの間にか変質してしまう。
幻魔との戦いはどこへやら、GENKENという組織をめぐる宗教小説、一転して宗教批判小説と化して全20巻にも及ぶ長大な小説になっていった。
平井和正はある時期「GLA」という新新興宗教にハマり、教祖のゴーストライターを務めたりしたものの内部紛争に嫌気がさして教団を離れる。
教団にハマった頃の体験は『アダルト・ウルフガイ』シリーズに、教団内のゴタゴタを目にした体験は『幻魔大戦』に反映している。
幻魔との戦いをすっぽかして、主人公の東丈が作ったGENKENという組織の内部紛争に文字が割かれる。いつの間にか主人公の東丈は失踪している。
『真幻魔大戦』は少年マガジン版の「幻魔侵攻」がなかった70年代の世界を舞台に描かれたが、未完のまま終了。こっちも主人公の東丈は失踪のまま。
『幻魔大戦』は『ハルマゲドン』という続編に移行。
平井和正は『ハルマゲドンの少女』という、シナリオ形式の小説を上梓。『幻魔大戦』世界と『真幻魔大戦』をつなぐ作品となった。
かねてより「言霊」の命ずるままに小説を書いてきたという平井和正は、ある日、息子さんがリビングに置いていた高橋留美子の「めぞん一刻」を手にし、それをきっかけに高橋留美子に耽溺。彼女と対談しているうちに、『幻魔大戦』の言霊が去って『ウルフガイ』の言霊がやってきたことを知り、以後、『ウルフガイ』シリーズを再開、『幻魔大戦』は長い空白ののちに続編が書かれる。

続編は電子書籍に舞台を移して書かれ続けた。
『幻魔大戦deep』、『幻魔大戦deepトルテック』である。
CD-ROMに格納されて販売された電子書籍と豪華な装丁の書籍版が出た。
いずれも高額だった。
かつて、読者の多くがお小遣いの少ない学生なのを考慮して文庫を中心に据えていた作家も晩年は高額な出版物を出すように変容していた。
残念なことに、多くの読者は敷居の高い電子書籍と高額な書籍版に手が伸びなかった。

『幻魔大戦deepトルテック』の版元は「幻魔大戦は完結した」とTwitterでアナウンスしたが、平井和正は「幻魔大戦はまだまだ終わりを告げる気配もない」と記している。
存命だったら、
平井和正は新しい『幻魔大戦』を書いたのだろうか。

小説として書かれた『幻魔大戦』は少年マガジン版にあったエンタテインメント性を喪失し、〈精神世界〉を描く作品となった。
文体も変容して、かつての疾走感のある筆致は失せてしまった。
その結果、平井和正のファンは全面的に入れ替わった。
エンタテインメント志向の読者は平井和正と訣別し、代わりに〈高次元の存在〉〈意識の覚醒〉〈意識を光で満たす〉などというフレーズを読書感想文に入れるようなスピリチュアルな選民思想を持った人が大量にやってきた。
『幻魔大戦シリーズ』『ウルフガイシリーズ』はGLAはじめ幸福の科学、オウム真理教などの「新新興宗教」の教義に強い影響を与えたとも言われている。
しかし、詳しい検証はされていない。

中断したマンガ版『幻魔大戦』、エンタテインメント性を失った平井和正の代表作『幻魔大戦』。
もやもやを抱えて長い時間が過ぎていった。

そして、『幻魔大戦』は復活した。

『幻魔大戦 Rebirth』である。
少年マガジン版『幻魔大戦』から、じつに半世紀が過ぎている。

このマンガはエンタテインメントである。
エンターテインメントであること、これが重要なのだ。
これは続きを気にしながらも、泣く泣く平井和正と訣別したファンにとっては大いなる福音なのだ。
そして、石ノ森章太郎ファンにとっても早すぎた意欲作の復活は嬉しいことだ。

平井和正の小説版『幻魔大戦』『真幻魔大戦』に登場した人物も登場していること。
石ノ森章太郎のマンガ版『幻魔大戦』の設定と登場人物を取り込んでいること。
そして、石ノ森章太郎の超能力テーマのマンガのキャラクターであるミュータント・サブ、さるとびエッちゃん、サイボーグ001・イワンまでもが登場している。
いつか、サイボーグゼロゼロ戦士たちも参戦するかもしれないと期待を抱かせる。
〈石ノ森章太郎ユニバース〉と、文字で表現されてきた〈平井和正ユニバース〉をたくみに融合させているのがすばらしい。
平井和正は石ノ森章太郎と訣別して幻魔世界を描いた。
石ノ森章太郎も独自に『幻魔大戦』を描いた。
このふたつの『幻魔大戦』が、いま混じり合い、さらにほかの作品まで取り込んで作品世界を創っている。
『幻魔大戦』という作品を巡った状況を知っている人には驚きであり、感激だった。
石ノ森章太郎の超能力を扱った作品のキャラクターが続々登場して活躍し、平井和正の創造したキャラクターと絡み合うだなんて、胸が躍るってやつだ。
『幻魔大戦』と『真幻魔大戦』、石ノ森の『幻魔大戦』(リュウ版)を踏まえて、幻魔との闘いがいくつもの宇宙で並行して行われてることも描いている。

〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉に対する日本からの回答といえるのではないか、とさえ思う。
〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉はマーベル・コミックのヒーロー大集合という難しい課題をきっちりと設定を練りに練った上でしっかりとしたストーリーと恐ろしくカネがかかった映像で見せる。
異なる時間軸・世界に属するヒーローたちを集結させたというのがいい。
脳天気なヒーローバンザイの映画ではなく、ヒーローという存在の社会的な意義を問うような深い内容であり、しかもそれを徹底したエンターテインメントに昇華して見せてくれる。
しかも〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉はこの世界の幻魔とでも呼ぶべき絶対的な悪の存在もいる。
『幻魔大戦 Rebirth』は石ノ森章太郎のキャラクターも平井和正のキャラクターもキチンと納得できるように登場させた上で、近年のマンガからなくなってしまった正統的な冒険マンガ、SFマンガとして成立させている。
オールドスクールながらまっとうなSFである。
〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉と肩を並べると思う。

原作者の七月鏡一、早瀬マサトは、平井和正と石ノ森章太郎に最大限の敬意を評しつつ、「幻魔宇宙」を描くという難行にして偉業に挑んでいる。
かつての少年漫画のクラシックなコマ割りをベースに、1話あたりの話の密度が濃いのも現在ではむしろ新鮮である。

私が最大の関心を持っているのが、主人公東丈の姉、東三千子がどう描かれるか。漫画にはすでに登場しているが、まだ深く描かれてはいない。
東三千子は平井和正には女神のような存在で、石ノ森章太郎にとっては姉を投影した特別な存在として描かれていた。
七月鏡一・早瀬マサト両先生は、東三千子をどのように描くのか。
とても楽しみである。
もちろん、幻魔と超能力者たちの闘いがどうなるか、ドキドキしながらマンガを読んでいる。

『幻魔大戦 Rebirth』の最新エピソードは「サンデーうぇぶり」というサイト、およびスマートフォンおよびタブレット用のアプリで無料で読める。

2018/12/09

『宇宙戦艦ヤマト2202』│暗愚の教祖とファンとの共依存

『宇宙戦艦ヤマト2202』は酷評の嵐にもかかわらず、Blue-rayとDVDは『宇宙戦艦ヤマト2199』の半分くらいの枚数は売れている。

当初、『宇宙戦艦ヤマト2202』は『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』および『宇宙戦艦ヤマト2』のリブート作品と称していた。
1978年の旧作品を見て熱狂的に支持したファンが観て、版権商品に多額のカネを使ってくれることを想定して企画された作品だ。
40年前の熱狂再び、と製作者は考えていたようだ。
正しくは、40年前のような〈ボロ儲けよ再び〉だ。
それは虚しいこととなったが、そこそこの売上は確保できているらしい。

『宇宙戦艦ヤマト2202』は、Blue-rayやDVDを中心にプラモデルや書籍などの版権商品で儲けを確保しようというビジネスをしている。

Blue-rayとやDVDを買うという消費行動は、中高年が好むものだ。
中高年アニメファンは、好きな作品を、〈形あるもの〉 として手元に置きたいと願う。
「作品を手元に置きたい」古いファンは、Blu-rayやDVDを買う。

中高年以外のアニメファンは、Blu-rayやDVDを捨ててストリーミングへのシフトが進んでいる。スマホでも液晶テレビでもパソコンでもネットにつながる環境で、好きな時間に鑑賞する。
中高年以外のアニメファンは、Blue-rayやDVDを買わない。
したがって、『宇宙戦艦ヤマト2202』は、ほとんどのアニメファンには見向きもされていない。
大多数のアニメファンは、そんな作品があることすら知らないもしくは関心がない。
ほかの新作アニメを観るのに忙しい。

『宇宙戦艦ヤマト』は、「地球を救うという大いなる使命のために旅をして、苦難にあっては命さえ投げ出すことを厭わない英雄たちの物語」という古典的なストーリーである。
世界を救うという〈大きな物語〉は、いまアニメを観ている若い世代には人気がない。
あまりに古くさくて、見向きもしない。
コアなアニメファンがお客さんにならないのだ。
そんな『宇宙戦艦ヤマト2202』がマーケットを形成するには、オールドファンが好んで観るような内容にするのが正解だ。
それこそがマーケティング的には正しい方法である。
アニメのマーケットは、世代別・嗜好別にセグメンテーションされた小さなマーケットがたくさん生まれ、その総体としてはかなり大きなマーケットになっている。
『機動戦士ガンダムUC』や『宇宙戦艦ヤマト2199』という、高い年齢層をターゲットにしたアニメが大きなビジネスとなり、高齢になってもファンが 離脱しないでマーケットを形成することもわかった。

『宇宙戦艦ヤマト2202』は、懐の豊かな高年齢ファンに高額なBlu-rayや模型、書籍を売って儲けるのが商売である。
TVアニメ4話分、約100分の動画をシネコンで上映するのも、深夜のテレビ放映も版権商品の宣伝をする方策にすぎない。

ターゲットとなる往年のヤマトファンの評価は芳しくない。
現時点で、『宇宙戦艦ヤマト2202』は『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』・『宇宙戦艦ヤマト2』のリブートとは呼べないものになっている。

いや、はっきり言って『宇宙戦艦ヤマト2202』は酷評が多い。
Yahoo!の映画レビューやAmazonのレビューにはこの作品の瑕疵を指摘する文字量がかなり多い投稿が、たくさん見つかる。

にもかかわらず、Blue-rayとDVDはある程度売れている。
『宇宙戦艦ヤマト2202』のBlue-rayとDVDを購入するのは40代以降のアニメファンである。

このことから、『宇宙戦艦ヤマト2202』ファンの中には、
内容を酷評しているというのにもかかわらず、Blue-rayやDVD、プラモデル、書籍などを買っている。

という、理解できない行動を取っている者が少なからずいると推測される。
「ヤマト」を深く愛するひとびとの、愛の証なのだろうか。

一部の『ヤマト』ファンの忠誠度の高さは驚くべきものだ。

愚作にして失敗作としか言いようがない映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』のBlu-rayやDVDを購入して、続編制作を支援するのだ、わたしはもっともっとヤマトが観たいなどと訴えたりした。
高いBlue-rayをひとりで何枚も買ったりしている者もいた。
彼らは『宇宙戦艦ヤマト2202』でも同じようにお金を使っているのだ。
『宇宙戦艦ヤマト2202』は、本来は無料で行うはずの試写会を「上映」として金を取り、配信は他の作品よりも高い金額に設定し、ファンクラブも3グレードの有料制度を設けるなど、とにかくファンからおカネを取ろうというのに熱心だ。
で、喜々として払うヤツが一定の数、いるのだ。

この状況は、新興宗教を連想する。
教祖と熱狂的な信者の関係を思わせる。

教祖は信者を罵倒する。
お前らはなにもわかっていない。
お前らはゴミだ。
クズだ。
ヤマトに対する信心も修行も足らない。
反省せよ、反省して修業に励み、真理に到達せよ。
お布施せよ。お布施して徳を積むのだ。
そのために、本を買って読め。何冊も買って、周囲の者に配って広めよ。
セミナーに参加して学べ。
ご本尊を分けて与えよう、飾って拝め。

もちろん、これらはすべてカネを出さなければならない。

そして、信者は喜んで金を出して教祖の歓心を買おうと試みる。
教祖は信者をバカにし、罵倒してカネを収奪するのだ。

『宇宙戦艦ヤマト2202』には、「副監督」という奇妙なクレジットがある。
副監督と称してはいるものの、事実上作品の最高権力者らしいひとが、新興宗教の教祖のような尊大で愚かな振る舞いをしているのがたいへん興味深い。

 

Twitterで、副監督はヤマトファンを中心にして気に食わない人や、意見が合わない(とかれが判断したらしい)人たちをブロックしまくっている。
副監督はもともとはプラモデルを作る人で、のちにアニメのメカデザインなどを手がけるようになったらしい。
名前を入れて検索してみると、9割くらいの意見はネガティブだ。
最近は経文を取り入れたデザインが好きらしく、『宇宙戦艦ヤマト2202』にも登場させている。

自分が読みたくないアカウントを予防的にブロックした上で、オールドスクールなネトウヨ妄言をリツイートしたりしている。
注目すべきなのは、本人はプロモーションのつもりらしいネタバレをTweetしたり、古くからのヤマトファンや旧作品のスタッフを罵倒したりしている点。

意見する古参ヤマトファンに対して、「老害は見るな」内容を批判するツイートには「嫌なら見るな」と描いてクリエーターとしての立場をとっくの前に放棄している。
クリエーターである前に人さまにお金を出してもらって成立する商業作品に関与する人間としてアウトである。


だまっておれの作っているヤマトを見ろ。
嫌なら見るな。
ただし、Blu-rayや模型は買え。たくさん買え。


それに付き従っておカネを使うファンがいる。
驚きである。


 


多くの人が制作に関与する商業作品として制作されているものが、個人的な思惑で改変ができるものなのか、という疑問はあるが、状況証拠から『宇宙戦艦ヤマト2202』は副監督が仕切っていると思われる。
別に製作する人間の人品骨格などどうでもよいお話であって、面白い作品を作れば問題はないのだ。
これがクリアできていない。
ものすごくつまらない。

創り手の基本的教養も良識も持ち合わせていない底の浅さ、物語を作るプロとしての実力のなさ、自分の願望で作品世界を改悪する浅ましさがはっきり見て取れるシロモノになってしまっている。
このひとのツイートやブログを読むと、日本語がまともに使えないのがよくわかる。
言語がまともに使えない、すなわちコミュニケーションができない人間が制作の実権を得てモノを作るとどうなるか。

その結果が、『宇宙戦艦ヤマト2202』である。

あれは模型が好きという以外に取り柄もなくて対人コミュニケーションに問題があり頭も良くない偏屈なおっさんが自分のデザインしたメカを大挙登場させ、支離滅裂な妄想を語っているだけなのだ。
かつて豊かなアイデアを取り入れて日本のTVアニメの新しい領域を切り開いた作品の名を冠する作品は、愚作と成り果てた。

『宇宙戦艦ヤマト2202』に宗教的なモチーフが散見されるのは興味深い。
仏教系国粋主義の宗教団体の信者が制作スタッフにいるのかもしれない。
それも、決済権のあるスタッフに。


オールドファンは、『さらば宇宙戦艦ヤマト』リブートに希望を抱いていた。

『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』は、熱狂をもって支持された。
極めて古典的な〈愁嘆場映画〉〈お涙頂戴映画〉だった。
映画で感動させるのなら、主役かそれの周囲の人物を殺すもしくは自己犠牲の末に散っていく様子を描けばいい。客が勝手に泣いてくれる。
大衆演劇から映画に受け継がれた作劇は150分のアニメ映画にも使われた。
この(何の工夫もない)ベタな内容がファンを魅了したのだ。
<感動しなければならない空気>のようなものが上映映画館には漂っていた。
映画を基にしたTVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト2』は、映画の余熱で視聴率が好調だった。作画レベルがおそろしく低い作品だったにも関わらず、ブームとはすごいものだ。

そして時は過ぎて『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』にリブートの時が来た。
せっかくのリブートの機会なのだ。質が高くなっていることを望んでいたはずである。
『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』および『宇宙戦艦ヤマト2』は質が低いアニメだった。シナリオには瑕疵があったし作画もレベルが低かった。彩色のミス、セルの傷やテカリも盛大に目立っていた。
画が美しく、タッチが統一され、デッサンが狂わず、よく動くアニメ。
かっこいい戦艦のデザインと戦闘シーン。
大枠を変えずに面白く、鑑賞に耐えうるストーリー、人物造型。

そういった期待はほぼ潰えた。

動かない・時々デッサンが狂う・人物アップの口パク多用。
『2199』の映像使い回し。
それらから見て取れる、「金のかかっていない、安っぽさ」あふれる映像の出来。
センスを疑わざるを得ない、メカデザイン。
旧作デザインの悪趣味な改変。
コピー・アンド・ペーストCGで安っぽいメカ描写。
作画スタッフも、CGを手がけるスタッフも。上手な人は少ない。
予算も充分かけていないことが見て取れる。
ストーリーが面白くない。
登場人物が誰も立っていない。

だが、それでも彼ら彼女らはBlu-rayやDVDを買った。
希望が叶うことを祈りながら。

希望とは、次なる新作『宇宙戦艦ヤマト』が世に出ることである。
次こそは〈面白いヤマト〉、まともな〈ヤマト〉が見られますように。
そう願って『宇宙戦艦ヤマト2202』にカネを使う。
そのように感じられる。

客の数は減少したが客単価は上昇して、いちおうの経済的な成果を得てはいるようだ。
すなわち、少なくなった客から多額のカネを吸い取っているのだ。
いや、一部喜々としながらカネを差し出している連中がいるのだ。
少なくなった客からできるだけ多額のカネを引き出したい制作者と、それに従うようにカネを出す『ヤマト』のファン。
相互に補完する関係性が生じているのだ。

先に「新興宗教」で例えてみたが、これは「ストックホルム症候群」で例えることができるかもしれない。
乱暴な制作者にひどいデキの『宇宙戦艦ヤマト2202』を押し付けられるばかりのファンは、ひどい作品世界に恋々としている。
『宇宙戦艦ヤマト2202』を酷評したり、『宇宙戦艦ヤマト2202』にカネを使わなかっりしたら、ヤマトは終わるのではないかそうしたらわたしの理想とする『ヤマト』の新作は観られないのではないか、などと思っているファンが居るのかもしれない。
ひどい作り手を容認するばかりか、共感を抱いて同調してしまう。
すなわち、囚われている。
ドメスティック・バイオレンスの暴力依存に似たような様相なのではないか。




ファンからカネを吸い取ることにしか興味がないプロデューサー、そのプロデューサーの歓心を得て(いるらしい)、愚作を作る模型屋。
模型屋は、観ている同世代のファンを馬鹿にしつつ、金を出せよと強要する。
何という奇景だろうか。

『宇宙戦艦ヤマト2202』で見切りをつけたファンも多いだろう。『ヤマト』のファンは、今後、ますます減るのは確実だ。
上述のように、カネを落とす『ヤマト』ファンは可処分所得の大きい、鷹揚なファンは残っている。彼らの数を減らさないということで、『ヤマト』ビジネスは成立する。
映画『さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~』は400万人が鑑賞した。
その0.5パーセントの人々が高額なBlu-rayやマーチャンダイズ商品を購入している。

仮に続編ができるとして。『宇宙戦艦ヤマト2202』でファンがますます少なくなったとしたら、作品はどうなるのか。
まず、予算はない。
予算はないが、Blue-rayや配信料金は、客単価を上げるために高額になる。
予算がないので、才能のない人しか制作に参加しない。少ない制作費だから、とうぜん、アニメとしての質はさらに低下する。

それでも、ファンは支持するのだろうか?

まことに不幸なことと言わざるを得ない。





2018/09/08

必読の映画プレゼンテーション漫画「邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん」

服部昇大「邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん」は、日本映画および一部の外国映画について書かれたたいへん面白い漫画である。

邦画好きの女子高生・邦キチこと邦吉映子が「映画について語る若人の部」なるクラブ活動に参加して、ハリウッド映画が好きな部長相手に邦画をプレゼンする。

邦キチは、陽の当たらない日本映画について熱く語る。

いや、「陽の当たらない日本映画」などという言い方は穏当にすぎるものであって、実際は「誰がこんな映画を見るんだ」というような日本映画が取り上げられている。
様々な理由から地雷が多数埋まった映画を、邦キチはものすごい熱量と明るい笑顔でもってプレゼンするのである。
邦キチは、一般的な映画ファンからは大いにズレている。
ごく一般的な映画ファンとは、マスメディアやソーシャルメディアで大勢の人が騒いでる映画、主としてハリウッドのブロックバスターたまに邦画の話題作を友だちと観に行くというような人々だが、邦キチはそんなものに目もくれない。
ひっそり公開された日本映画、レンタルビデオ店でも目立たないような映画を熱を持って語るのだ。
ときに、世間からさんざん酷評を浴びせられた映画も俎上に上げる。
取り上げられている映画を挙げておく。

『魔女の宅急便(実写版)』
『DOG×POLICE 純白の絆』
『電人ザボーガー』
『ゲゲゲの鬼太郎・千年呪い歌』
『箱入り息子の恋』
『バーフバリ』(インド映画)
『貞子3D』
『哭声/コクソン』(韓国映画)
『劇場版仮面ライダーオーズ WONDERFUL 将軍と21のコアメダル』
『テラフォーマーズ』
『クリーピー・偽りの隣人』
『CASSHERN』
『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』
『ドラゴンボール EVOLUTION』(アメリカ映画)
『デビルマン』

この絵柄のチョイス。ひねくれた漫画ファンのハートを刺激するでは素晴らしいチョイスではないか。邦キチは、どうも陸奥A子先生タッチのようだ。
70~80年代の少女漫画タッチを使っていて可愛らしいタッチでありながら、描かれているのは〈熱〉である。
が、邦キチの日本映画への愛と熱情は、わたしたちの映画鑑賞のあり方を根底から揺さぶるのである。

映画が好きで、よく映画館に足を運ぶという人の大半はハリウッド映画が好きで、ハリウッド映画について語ったりブログやSNSに感想などを書いたりしている。
宣伝にほだされている人たちである。
中華圏映画や韓国映画、インド映画は公開規模が小さくて宣伝費も少ないから注目なんぞしない。
一部の好き者しか行かない。
日本映画については、大作・話題作についてのみ見に行く人がほとんどだろう。
TV局が作った映画、話題の漫画の実写化、ときにSNSを通じて評判が広まった低予算映画など、世間的に話題になったものについてはマスメディアで火がつくと観に行く。

日本では日本映画について語る人が多くない。
アメリカの映画について語る人の多さに比べて、日本映画を語る人はものすごく少ないように感じる。映画ファンを自称する人のなかで、日本映画が好きだという人は少ない。
日本映画は語られないものだし、多くの場合は侮蔑して唾棄すべき対象である。
語っている人がいるかと思えば、大抵の場合はやれ質が低いやれ演技がだめだ脚本がカスだ予算がない役者がいないプロデューサーもカントクも馬鹿だなどという悪口の羅列だったりする。
日本映画について語る人の多くは、暗くてネガティブな意見ばかり口にする。
〈鼻で笑う〉人のなんと多いことか。

「邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん」は、映画をプレゼンテーションする漫画だ。
邦キチは、「日本映画にはこんな楽しみ方もありますよ」と笑いを交えて教えてくれるのだ。
映画を見るのにカネも時間も費やしているのだ、どんな映画だって何らかの楽しみを見い出せばいいのだ。
そう思える読後感だ。




服部昇大は日本語ラップに造詣が深い人としても有名で、ライムスター宇多丸に強い影響を受けている。
このマンガは宇多丸の「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」初期の映画評論コーナー「シネマハスラー」が着想のヒントになったと推測する。
「シネマハスラー」は邦画を取り上げて、宇多丸が緻密に批評するのが売りだった。
その結果、映画の瑕疵があからさまになって、それをあげつらう宇多丸の文言は、批評芸というか笑いとして成立していた。
服部昇大は、熱心なリスナーだったので、宇多丸の批評を滋養にして「邦画プレゼン女子高生 邦キチ! 映子さん」を生み出したと推測する。
「映画の当たり屋稼業」と称してモンダイある日本映画を切りまくっていた宇多丸の遺伝子を受け継いだ漫画だと思っている。