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2014/02/28

宇宙戦艦ヤマトの堕落史2|さらば宇宙戦艦ヤマトとヤマト2

「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜」は1978年8月に公開された。
映画は大ヒットして、アニメ映画の興行記録を樹立した。

ラストシーンでは、ヤマトがガトランティスの超巨大戦艦に特攻した。
字幕が出て、ヤマトは古代進と森雪の亡霊もろとも宇宙に散った。

この映画、公開時に「Arrivederci YAMATO」という外国語タイトルがついていた。arrivederciというのは、イタリア語で「さようなら」という意味だ。
このタイトルは、西崎義展の趣味なんだろうか。作品に強権を振るえるのはプロデューサーしかいないから、だぶんそうなんだろう。

arrivederci」をする直前の場面。
このカットは安彦良和作画。安彦タッチがとても印象的。





知っての通り、「さらば」とはならなかったわけだが。




「さらば宇宙戦艦ヤマト」を信奉する人は、このページなど見ないで、ここでも見ていたほうが精神衛生上、よろしい。

  ヤマトのクルーたちは地球を守るため、滅私から生まれた信念を貫き死んでいく。作戦遂行のため覚悟の上死に向かうもの、予期せぬ被弾で突然命を失うも の・・・さまざまな死が描かれますが、みな地球を守るために最期まで持ち場に留まるのです。そこに迷いはなく、少々語弊はあるかもしれませんが、満足すら 覚えている。彼らは死に向き合ってすら希望を抱くのです。 

http://www.geocities.jp/chakorinpa/yamato/yamato81.html
 

オーケイ。
始めよう。



「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜」
 
劇場版 1978年8月


ヤマトと、あまりにも違いすぎる。

1979年に公開された劇場版「銀河鉄道999」を見終わってそう思った。この映画のスタッフが「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~」を作っていたら、どんな作品になったのだろうか、と。

作画監督・小松原一男はじめ作画陣のレベルの高さと彼らによる作画の統一性、椋尾篁の寒色を基調にした美術の硬質な美しさ。
銀河鉄道999」の作画と美術は素晴らしいものだった。
小松原一男の松本零士キャラクターのアレンジが実にいい。小松原一男は、画がとてもうまく、上品だ。
当時、私はまだ松本零士に関心を持っていた。だから、いわゆる「松本アニメ」における松本零士タッチの再現は、鑑賞するにあたっては重要なポイントだった。
小松原一男はじめ作画スタッフは、松本零士のテイストを上手に残しながら、きちんとしたデッサンで見せてくれた。とくにメーテルの美しさとハーロックの格好良さには心惹かれた。

見終わって、1年前に見た「さらば宇宙戦艦ヤマト~愛の戦士たち~」のことを思い出して深くため息をついた。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」の作画はあまり好きになれなかった。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」は作画があちこちで破綻している。

総作画監督とクレジットされている湖川友謙のタッチで統一することができず、ところどころ絵柄が変わるのだ。
古代進がヤマトで特攻する直前、幻影として現れるヤマトのクルーたちの作画は安彦良和のタッチだったりする。
肝心の湖川友謙のタッチは、旧作や松本零士のテイストやタツノコプロ調が入り混じったような変なテイストだった。湖川友謙はタツノコプロ出身で、リアルでデッサンのしっかりしたタッチ。いちおうは、ベースになっている松本零士のぐにゃぐにゃしたタッチとは正反対だ。
作画不統一に加え、動きのガタツキ、彩色ミスや撮影時のホコリ、ゴミの映り込み、セルがテカってしまうなどの映像のクオリティを落とすミスがとても多い。

「ヤマト」に端を発した80年代の劇場アニメブームのとき、古参のアニメ評論家がアメリカのアニメーション映画に比して、日本のアニメ映画は制作期間があまりにも短く、その弊害が荒れた画面とアニメとしての質の低さとなって現れていると指摘していたことを思い出す。
なかでもオリジナル劇場映画「さらば宇宙戦艦ヤマト」に関しては、アニメとしての水準の低さと粗雑さについて、厳しく批判していた。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」のヒットを受けて制作され、1年後には「銀河鉄道999」が公開された。この2本を比べると、どうも作画に費やした時間には開きがあったようなのだ。
同じくらいの制作期間ではあったが、画のレヴェルが違いすぎる。
しかも、映画の長さも違う。
「銀河鉄道999」は約130分、「さらば宇宙戦艦ヤマト」は約150分。20分も長い。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」が作画に使えた時間は、短いものだったのではないか。
それゆえ、破綻が見られたのではないのか。
何らかの理由で、「さらば宇宙戦艦ヤマト」の作画時間が圧迫されたのではないか。


思い返すと、読んだ西崎義展は会議好きという話があった。

映画のパンフ、アニメ誌の記事、徳間書店のロマンアルバムなどで、「ヤマト」は制作に際して映画のアイデア会議にたっぷりと時間をかけたと書いてあった。会議にみっちり時間をかけると、あたかも美点であるかのように書いてあった。
「ヤマト」における会議とは何か。岡田斗司夫の文章から引用する。

  後でこの仕掛けを教えてくれたのは、誰あろう松本零士さんです。
「西崎義展に会っただろう」「会いましたよー」「金やるって言われたろう」「言われましたよ」「もらったらヤバいぞ」って。
 松本さんが教えてくれるには、西崎義展という人は、とにかく会議をする。なにかというとすぐに会議を招集して、みんなでアイディアを練る。誰か一人がこんなことを思いついたと言ったら、必ずそれを会議にかけようと言う。
 松本零士が『宇宙戦艦ヤマト』のデザインで第三艦橋をこういう風にしようと思いついて提案する。じゃそれを会議にかけようと言うんです。
 で、『ヤマト』のデザインの会議を開く。それも十人とか二十人とか凄い人数の会議です。その大人数で、もうちょっとこうしようじゃないか、ああしようじゃないかって、ちょっとずつ直すんです。これが西崎義展の仕事術です。
 
 何の為にこれをやるのか。それを松本零士さんが教えてくれました。
  誰か一人が思いついた物を使うと、あとで揉めたときにその誰かが「『宇宙戦艦ヤマト』は俺が考えた」と言えちゃう。そうじゃなくて、例えば松本零士が思いついたとしてもそんなことを主張されないために、会議で合意に達して今の形に決定したという手順をふみたいんです。『宇宙戦艦ヤマト』の「ヤマト」という カタカナを、特徴的なレタリングにするというアイディアもそうです。デザインしたのは松本零士かも知れないけど、会議の結果、今の形にまとまった。
 だからそれの統括的な著作権は、言い出した松本零士が持っているのではなく、プロデューサーの俺が代表して持っている。オフィスアカデミーという『宇宙戦艦ヤマト』の権利会社が持っている。アイディアもすべて持っていることになる。
 それが、西崎さんの主張なのです。

出典:【社長日記】西崎義展さんのご冥福を祈ります



「さらば宇宙戦艦ヤマト」でもアイデア会議はたっぷり行われたのに違いない。そして、それは限られた制作のための時間をさらに圧迫したと考えられる。
その結果は、アニメ映画としての質の低さとなって現れたのではないだろうか。
まして「さらば宇宙戦艦ヤマト」は2時間30分の長尺、「彗星都市帝国」「超巨大戦艦」という作画泣かせのギミックもあった。
今でも上映時のセルに貼り付いたゴミや、撮影時のセルのテカリなどを思い出す。

言うまでもなく、映画でもテレビでも時間には限りがある。公開日・放映日が決まっているわけで、その中でのクオリティを管理して、観客が満足できるクオリティを提供するのが筋である。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」は、どうだったんだろう。

ストーリーの話をしていない。

あれは語るほどのものだろうか?
お話は、突き詰めれば

「とっても強い敵が来たので、ヤマトは出撃して戦いました。敵はあまりにも強く、武器もなくなりました。だから、特攻しました」
それがすべてだ。

特攻という、知恵もなくヒネリもない手を出してきた。
知恵者である、真田技師長も、都市帝国を破壊するため、命を投げ出した。
面白くもなんともない。
強大な敵を知恵で突破するような話にならなかったのが、残念なことだ。
私は、面白いものを見たいだけなのだ。
「特攻」と言わないで、その直前に古代進が言い訳を述べていた。

「俺もまた生きるために行くんだよ」
「命とはな、たかが何十年の寿命で終ってしまうような、ちっぽけなものではない」
「この宇宙一杯に広がって、永遠に続くものなのだ」
「俺はこれからそういう命に自分の命を変えに行くのだよ」
「これは死ではない」

キャラクター設定がメチャクチャである。

「欠陥人間・古代進」と呼ばれていた古代が宗教ぽい、崇高めいたことを滔々と述べる。
館内のすすり泣きの声が聞こえてきたのを覚えてる。
終盤はお涙頂戴のシーンばかりで、しらけながら見ていた。

遊弋するおそろしく巨大な戦艦を目前にして、古代進はながながと特攻する理由を述べている。その間、もちろんガトランティスの超巨大戦艦は、なんにもしない。
ヤマトのクルーが退艦して、古代進が森雪の死体にあれこれ語りかけている間も超巨大戦艦は、もちろん何もしない。
「やられるのを待っていますよ」
という体なのだ。

何の工夫もないありがちな「特攻」をやたらと称揚するひとがいるが、そのように思うのは、ものがたりの瑕疵を認めたくないんだろう。

おまけに『宇宙戦艦ヤマト2』でこの場面はなかったことになって、続篇が作られていくのだ。「感動を返せ!」などと言っている者もいた。
「命とはな、たかが何十年の寿命で終ってしまうような、ちっぽけなものではない」などというのがなかったことだものな。

ヤマトの制作会社「オフィスアカデミー」は、「さらば宇宙戦艦ヤマト」公開前後からファン相手に高額な関連商品を売りつける商売に手を付けている。
1冊1万円、3冊で3万円もする「宇宙戦艦ヤマト全記録集」などというものを出している。1978年に1冊1万円である。
相当な高額である。
とくにヤマトのファンである、10代のティーン・エイジャーにしたら、とても手が出ないような高額だ。
設定資料などの図版を本に仕立てたものだ。
さすがに批判があったか、のちに普及版というものが出た。
で、この普及版はある時期から神田神保町の古本屋で投げ売りされるようになる。「オフィスアカデミー」が倒産したからだったか。買ったが、のちに引っ越しのときに処分したから手元にはない。

<ヤマトはカネになる>
そのことに味を占めたおもに西崎義展などの関係者は、このあたりからファンからオカネを引っ張る商売を色々と展開していくのである。
しかも、単価がものすごく高い。
それをホイホイと買う人が大勢いたのだ。
西崎義展は「ヤマト」で儲けたカネで九段下にビル建てたり、無茶苦茶な豪遊したりしていたのだ。





「宇宙戦艦ヤマト2」 TVシリーズ 1978年

最初に言っておくと、「宇宙戦艦ヤマト2」は質が低い。
カネも時間もかかっていない粗雑な作品だ。
それ以上でもそれ以下でもない。

1978年10月、テレビシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」放映スタート。もちろん、「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち〜」をベースにしたシリーズだ。1979年3月まで26回にわたって放映された。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」があまりにも儲かったために作られたわけではない。映画が公開される以前から、テレビ放送の企画は進められていたという。
特攻エンディングをよしとしない松本零士の意向を強く反映し、「さらば宇宙戦艦ヤマト」と異なるエンディングとなったと言われる。松本零士の意向は、西崎義展にとっては渡りに船だっただろう。堂々と続編制作への道筋を付けられたのだから。
基本プロットは「さらば」と同じ。
だが、死者数を大幅に減らすなどのストーリーの大きな修正を行い、続編制作へとつなげた。
土方竜はアンドロメダで地球艦隊を率いるものの、都市帝国の前に全滅する。
全裸の反物質女性・テレサは白色彗星帝国の超巨大戦艦に単独で特攻しておしまい。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」では全裸だったテレサは青い服を着せられ、島大介の恋人となった。
「宇宙戦艦ヤマト2」においてヤマトは、デスラーにも白色彗星帝国にも勝利していない。デスラーはヤマトと戦った後、勝手に満足していずこかへ引き揚げていき、白色彗星帝国にはテレサだけが特攻してドラマの幕引きをした。
オープニングテーマ曲は前作の流用。「宇宙の彼方 イスカンダルへ 運命背負い 今とび立つ」と物語と全く関係ない歌詞を堂々と歌っており、OPアニメも「さらば」の劇中シーンを編集して流用したりと、手抜きがはっきりしている。
映画予算で作られた「さらば宇宙戦艦ヤマト」と、テレビ予算で作られた「ヤマト2」とはアニメのクオリティに雲泥の差があり、OP後に本編を観るとがっかりする。

作画はこんな感じ。 





『宇宙戦艦ヤマトII ヤマトよ永遠なれ!』 TVスペシャル

「宇宙戦艦ヤマト2」を再編集し、アフレコ追加や一部BGMの差し替えなどを行ったテレビスペシャル。
ヤマトが最初から地球防衛軍お墨付きで、テレザート星へ旅立っていたり、土方艦長が「地球万歳!」と叫んでアンドロメダで都市帝国に特攻する場面があったりする。

「宇宙戦艦ヤマト2」の視聴は、「思い出補正」が効く人にのみおすすめする。



4 件のコメント:

  1. 異論無し。ヤマトファンの心にあった不満です。

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  2. さらばの作画の粗さもストーリーも大してないのも仰るとおりですが、それはさらばに限らずヤマトは前作から作画も荒いしストーリーも大してないです。

    それとヤマト2に関しては、自分もずっと話も絵も質が低いと思っていたのですが、今時間を置いて改めて観ると、確かに絵の使い回しは多いですが、映画だと尺の都合上かなり端折った展開でしたが、テレビ版ではそのらあたりがじっくり書かれていて分かりやすかったし、デスラーとズォーダーのドラマや、後半の地球艦隊戦は中々熱い展開です。絵も丁寧な作画になっています。

    これはやはりいくらさらばを気に入らないとしても当時最大ヒットの作品ですから、ファンならさらば以上の感動はないと思って見ちゃいますし、ファンでない人は気に入らないさらばより更に出来の悪い作品という先入観で見てしまうからだと思います。

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  3. ズウォーダーの超巨大戦艦がヤマトを素通りする理由は、俺がそこで地球をレイプしているところをそこで指をくわえて見ていろと言う、残酷な復讐。北斗の拳の1話みたいな感じ

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  4. ヤマトの価値は大ヒットしてアニメ業界市場を開拓したところだろうな

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