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2016/10/16

『貞子VS伽椰子』 白石晃士の大エンターテインメント・ホラー

買いものをしに、香港に行った。

街を歩いていると、 『貞子VS伽椰子』のポスターがあった。
ネットで時間を調べてみたら、近くにあるシネコンでやってた。
前から見たいと思いながらも見逃してしまっていたのだ。
これは絶好のチャンスだと思ったので、観にいった。




『貞子VS伽椰子』を観終わって、とても楽しい気持ちになった。
クライマックスは得体の知れないエネルギーが充満しており、そのエネルギーを浴びたみたいな気がした。

貞子と伽椰子の対決という、かつてソーシャルメディアを賑わせたエイプリールフールの嘘記事の企画が本当に実現したのだ。
しかも、『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』シリーズで一部で熱狂的な支持を集める白石晃士が監督という夢のような展開だ。



『貞子VS伽椰子』という映画を制作するのは、創り手にとってとても難易度が高いものだった。

理由は以下のとおりだ。

・『リング』『呪怨』は、ともに日本を代表するホラー映画シリーズ。大成功を収め、どちらもハリウッドでリメイクされた有名な作品だ。その双方の続編とでもいうべき作品なので、注目度が高い。
 高級ブランド品の新製品を作って売れというようなものだ。
 
・貞子や伽椰子を知らない人が見ても内容が理解でき、しかも怖い映画にしなければならない。 
・貞子も伽椰子も、それぞれが因縁を持ち、「呪い」を放つ存在である。そのことも、その怖ろしさも観客に理解させなければならない。 
・貞子と伽椰子は、スーパーマンとバットマン、マジンガーZとゲッターロボのようなものだ。決して、優劣を描くべきものではない。 
『貞子3D』『貞子3D2』は、貞子が登場するが、これまでの『リング』の系列からは別なものになった。モンスター映画もしくはギャグ映画という路線に転じて、ホラーと呼べない映画になってしまった。この2本で描かれた貞子は霊的なパワーを備えたクリーチャーだ。


・『呪怨』も続編が作られ続けた。ハリウッドで3本の作品が撮られてしばらくしてから、制作会社を移して『呪怨 終わりの始まり』『呪怨 ザ・ファイナル』というリブート映画が制作された。
 清水崇のVシネマ版のストーリーを描きなおしていたものの、怖さの描写ではオリジナルより落ちるものだったので、結果、印象に残らないものだった。
・つまり、評価が高かった貞子と伽椰子は評価がこの数年で下がってしまい、さらにネタ化の危惧さえあった。
・『貞子VS伽椰子』はエイプリールフールの嘘ニュースとしてKADOKAWAが仕掛けてネットニュースで話題になった。実はこのことが「ネタ化」を誘引した。
『貞子VS伽椰子』はみんなに笑われるネタになり、それが本当に実現したと聞いて半笑いを浮かべる人が多かった。
・だが、貞子と伽椰子は日本のホラー映画のアイコンとしてよく知られていて、新作にはやはり怖さが求められる。 



『貞子VS伽椰子』は、きびしい状況で制作された映画なのだ。
難しい諸々の課題を呑み込んで白石晃士は監督を引き受け、進行していたシナリオに手を加えるところから制作はスタートした。

まず、白石晃士はこの映画でJホラーを破壊することに手を付けた。
「Jホラー」の「型」に沿ったような「怖い映像」「怖い因縁」あるいは「悲惨な過去」は描かない。
「Jホラー」にありがちな曖昧に淡々と進む状況、じわじわと蓄積される恐怖、湿り気のある恐怖描写には関心が行っていない。
白石晃士監督は、<霊的なこと>は一切信じていない。だから、霊、因縁、呪いといったことの描き方はとても乾いた印象で、不意打ちのようにショッキングな場面を投げつけてくる。
「Jホラー」は、低予算のレンタル用ホラー映画で乱発されるよる状況が続き、それが「実話心霊ビデオ」にも使われるようになってひどく陳腐化した。
白石晃士はJホラーの先達に敬意を表しつつ、Jホラーがやらない描写やストーリー展開を見せてくれた。

『貞子VS伽椰子』では、異なる作品世界から連れ出したキャラクターを使い、一つの映画として成立させるために、設定を書き直した。
この映画では、貞子は「都市伝説として語られる存在」である。
「呪いのVHSビデオ」を見た者のところに、貞子から電話がある。2日後に貞子がやってきて、ビデオを見た者は死ぬ。
もはや使っている人もいないと思われるVHSビデオ。その中に災厄が封じ込められているのだ。
伽椰子は「ある廃屋に出ると噂になっている恐ろしい幽霊」という存在である。その家ではかつて父親が奥さんと子供を惨殺したといわれ、以来、住むものはいなくなった。
呪われた廃屋に入った者は、伽椰子に殺される。
貞子、伽椰子が背負ってきたバックグラウンドや長大な物語は引き剥がされ、定義され直したのだ。
これはいい。
もし、この2つの存在を映画のなかで長々と解説したら、冗長になって退屈になるだけだ。これまでの歴史を断ち切ったのは正解だ。

常盤経蔵と盲目の霊能少女・珠緒という霊媒師コンビが「呪いの消滅」に奮闘する。
この二人が白石晃士の映画ではよく出てくる、振舞いも言葉遣いも粗暴だが、果敢に怪異に挑むキャラクターである。 
経蔵と珠緒は、呪われた美少女たちを囮もしくは撒き餌とし、危険な除霊を仕掛ける。
クライマックスは、わけのわからないチカラが充満した場面だった。
Jホラー的なものの破壊の上に創造された、新しい日本のホラー

気に入った点がある。
ある登場人物の取った行動が招く未来。
その事態は、白石晃士監督の『戦慄怪奇ファイル コワすぎ』シリーズの世界が辿った末路とリンクしているのではないだろうか。

白石晃士監督は、自分の作品世界に共通する<世界>を構築しているのではないだろうか。かれの撮る映画は、その世界の一面を描いているのではないか。
その世界は、われわれの世界とよく似ているのだが、超常的な出来事は普通に起こる世界だ。巨人がいる世界、肉体が容易に変容する世界、異界に繋がる世界、呪いをもたらす死霊、ある時点でリセットされ、ループする世界。
そういうことを感じ取って、ちょっと楽しくなる。

白石晃士監督の描く世界、好きである。





ノベライズ版。
実話怪談で嫌なことを書かせたら天下一品というべき黒史郎の手になるもので、映画の小説化ではなくてオリジナルの登場人物、オリジナルストーリーで書かれている。

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