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2015/10/04

ヤマトしかなかった男|『宇宙戦艦ヤマトを作った男 西崎義展の狂気』

「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気 』を読んだ。

芸能界にいてコンサートなどの興行を手がけていた男が、仕事仲間と金銭トラブルを起こした挙句、海外に逃亡。
ほとぼりが覚めた頃を見計らって、帰国。
今度は、アニメ制作者となって、『宇宙戦艦ヤマト』が映画化をきっかけにして大ヒットとなり、続編『さらば宇宙戦艦ヤマト』も大ヒットして巨万の富とともに「時代の寵児」だの「大プロデューサー」だのといった虚名を得た。




この本は、西崎義展の人生から『宇宙戦艦ヤマト』を引き算すると何が残ったのかを明確に示している。

カネと女と虚栄心と麻薬である。

メディアに登場した時には「人間とは愛だ」「宇宙愛」などというコトバを好んで使っていた男は、裏では世俗的で俗悪なあらゆる欲にまみれて爛れた日々を送っていたということを、これでもかと抉ってみせる本だ。

2015/10/03

西崎義展と宇宙戦艦ヤマト Part3

西崎義展はアニメが好きだったんだろうか?

アニメ制作の現場を理解していたのだろうか?

西崎義展は会議魔だった。
かつて西崎義展プロデュースの作品に参加したスタッフは、口を揃えて述懐する。
スタッフを集めての、会議に次ぐ会議。
映画館での上映、テレビ放映、いずれも期限が決まっている。
当然のことながら動画制作に充てられるべき時間が圧迫される。
当然の事ながら絵が荒れ、作画や撮影のミスは省みられることはなく、当然の結果としてアニメとしては質の低いものになってしまう。




山本(弘) 西崎義展からすごいしつこい電話かかってくるんだよね。「ぜひSF設定お願いしますって」
岡田(斗司夫) デスラーみたいな声で(笑)
山本 とにかくこっちは忙しいから、なんとか断ろうと思うんだけど、向うは押してくる。「とにかく設定書を送ります」って。
ヤマトが新たな人類の移住先を見つけなくちゃいけないっていうんで、銀河中心に行ったら、銀河中心にUSA的大国がある(笑)。ちゃんとその企画書に 「USA的大国」って(笑)。で、そいつが銀河の国連を牛耳ってて、小国をいじめてる。で、ヤマトが「八紘一宇の精神を発揮して」…(笑)。
岡田 で、表紙見たら「原案/石原慎太郎」って書いてあったっていう(笑)。

岡 田 俺ね、前田真宏が『YAMATO2520』始めた頃にヤマトスタッフルームへ遊びに行ったんですよ。とにかく『ヤマト』の設定っていうの、僕も見たくて見 たくてしょうがなかったから(笑)。「真宏君、ヤマトの設定見せて!」って言ったら、全員顔を見合わせるんですよ。「なにかな?」って思ったらね、なんか すっごいデカいキャビネットをバカッーッと開いたら、180センチくらいの紙が積んであるんですよね。「うわぁ〜っ!!」って思ったら、そのドアに 「1」って書いてあるんですよね。キロじゃなくて、トンで計るくらいの紙が…。ものすごかったですよ。とにかく、どこ見ていいかわかんないですよ。結局、 西崎さんって10何人でやってるブレインストーミングとかを、全部テープ起こししてるんですよ。
だから、大阪教育大学の堀江純さんとかそういうふうな人たちで。で、僕らとかでこういうふうにバカばなしする時でも、とにかく『ヤマト』のアイデアになってる。
その辺ではね、あの人はやっぱ超一流のプロデューサーだとは思いますよ。
全部テキスト化して、全部残してる。
コンテ切ってる最中に「組み立てドックの設定が…」って言ったら、「あーっ、これ、7年前に小林誠さんが描いたやつだ!宝庫ダナ!」って言って(笑)。もう、ホントに180センチぐらいあって。
山本 なんか、ありとあらゆるアイデアがあそこに詰まってるんじゃないの?
岡田 それぐらい分量がある。で、それぐらい一つ一つのアイデアが使えるんですよ。

(1999年『封印ー史上最強のオタク座談会』岡田 斗司夫+ 山本 弘+ 田中 公平、音楽専科社 (1999/07)

西崎義展は会議に時間を費やしては作品に関する情熱を語り、作品の設定にも時間と労力とお金をかけたことがよくわかる。
これは、アニメに関する権利をプロデューサーに集約するという点でも必要だった。

しかし、最終的なアウトプットたるフィルムは、質が低い。これが西崎義展が手がけたアニメの特徴だ。




2015/09/09

西崎義展と宇宙戦艦ヤマト Part2

西崎義展はアニメ業界に大きなインパクトを与えた人物だった。




何よりも、アニメ=まんが映画もしくはテレビ紙芝居という図式を壊してみせた。

そして、アニメのビジネスとしての大きな可能性を見出した人物である。
アニメに鉱脈を発見して、巨額のカネを掴んだ成功者だった。
子供に対しておもちゃを売りつけるという従来のビジネスをとらないで、全く違う市場を作った。
ティーンエイジャー、若者、さらにはその上の世代を映画館に足を運ばせたのち、書籍、レコード、キャラクター商品などの購入を促すという手法を確立した。
高額な「設定資料集」「豪華本」などがずいぶん売れたと記憶する。可処分所得の多い層=ファンが多く集まった。
それを意図的にしたのか、結果としてそうなったのかはわからない。
また、「宇宙戦艦ヤマトファンクラブ」を創立してファンの囲い込みをしたというのも特筆すべきだ。ファンのロイヤリティ(忠誠度)を高めるという点で効果的だった。

西崎義展は、アニメ業界を変えた人物と言える。
それでは、アニメ制作者/プロデューサーとしては、そういう仕事ができるのか。どのように評価されているのか?

西崎氏が途中ですっかり デスラーにのめり込んじゃいまして、
どんどんデスラーになっていった。


安彦良和の語る西崎義展

西崎さんで人は金に糸目はつけねえって人でしたから、コンテでも「おいロングを使え。やれ」って言うんですね。それだと金がかかるけどいいのかなあと思いながらコンテを切ってました。だからあんなハリネズミみたいな「ヤマトの絵がたくさん出るわけです。「ガンダム」ではそんな手間のかかることはできない。 それが当然なんですけど。
「ヤマト」は映画もやってオリジナルビデオもやっていろいろあったけど、 その中でいつしか滅茶苦茶になっていったんですよ。西崎氏が途中ですっかり デスラーにのめり込んじゃいまして、どんどんデスラーになっていった。続編を つくるたびに「これはデスラーの話だ」と言って、実際にデスラーが主役の話もつくった。ひどいことに自分で自分がつくった話の世界にのみ込まれてしまったんでしょうね。「ヤマト」もガミラスやデスラーという魅力的な仇役を創出したのが大きな成功の要素だったんですけど、西崎氏にとっても魅力があり過ぎた。難しいものですよ。
彼は人をとっつかまえたら離さないところがあって、僕は途中で、もう「ガンダム」と同時に「ヤマト」までやってられないってのもあって、抜けたくて抜けたくて仕方がなかったんですけど、抜けられなかった。最後にはもう相当シリアスなケンカでもしない限り抜けられないと思って、シリアスなケンカをして抜けました。

西崎義展と仕事する困難さが伝わってくる。
超ワンマンの会社で働く辛さとでも言おうか。

今回のエントリーでは、アニメ業界で働く人と西崎義展の関わりを、ネット上に残された発言やインタビューから探ってみる。