Pages

2012/12/17

国難が来るぞ!〜幸福実現党の敗北

不可解である。
「幸福の科学」、その主宰者である大川隆法が創立した「幸福実現党」は先般行われた2012年の衆議院議員選挙で63名も候補を擁立した。
だというのに、一人も当選しないばかりか、供託金没収の憂き目に会う惨敗を喫したというのだ。

大方の予想を上回る自民圧勝・民主惨敗の政権奪還で終わった今回の衆院選。争点となった「脱原発」についてはノー、「国防強化」はイエスという、幸福実現 党の主張が通った形だが、マスコミの無視によって自民票に流れた。幸福実現党の主張の正しさが改めて証明された結果と言えよう。

「脱原発か否か」については、「2030年代に原発ゼロ」の民主党、「卒原発」の未来の党が大敗し、原発再稼働に含みを持たせた自民党が大勝。幸福実現党の主張通りに、「原発推進」のほうが民意に傾いた。

「国防」についても、幸福実現党が立党以来主張してきた「憲法改正」「集団的自衛権の行使」「国防軍創設」などをそのまま公約に掲げた自民党が勝ち、維新の会も票を伸ばし、尖閣で弱腰だった民主党が敗れた。

幸福実現党は、いつもながらその大胆な主張が票につながらなかったが、マスコミの露骨な「諸派」扱いによって国民に知らされなかったことが大きいだろう。そのため、幸福実現党の主張や政策をパクッた自民党や維新に票が流れたという図式だ。

安倍氏の打ち上げる金融政策が「アベノミクス」ともてはやされ、衆院解散後に株高・円安が続いた。だが、安倍氏が主張する「日銀による大胆な金融緩和」や 「3%のインフレ目標導入」「日銀法改正」などの金融政策もまた、幸福実現党がずっと主張してきた政策のパクリであり、その形だけを真似しようとしている だけのことだ。
実際、安倍氏は「建設国債を日本銀行に全部買ってもらう」と主張して日銀や識者の反発を受けると、あわてて前言を翻すなど、金融や経済に精通しているとは思えない。

つまり、安倍・自民党政権が誕生したのは、「幸福実現党の政策を横取りした」おかげであり、幸福実現党の主張の正しさが証明されたのだと言える。安倍氏は幸福実現党に公の場で感謝の言葉を述べるべきだろう。

【衆院選・総括】安倍自民圧勝で改めて分かった、幸福実現党の主張の正しさ
(ザ・リバティweb 2012年12月16日)


ああ、なんということであろうか。
自民党が今回の選挙で掲げた政策とは、「幸福実現党」が以前より掲げていた政策を横取りしたというのではないか。
ところが、政策を剽窃した自民党は300議席を超える勝利を収める一方、幸福実現党は民主党にも維新の会にも共産党にも未来の党にも惜しくも及ばず、ゼロ議席なのである。


●幸福実現党年衆院選【比例代表】得票・得票率

北海道ブロック  10,506 0.4%
東北ブロック   14,825 0.3%
北関東ブロック  19,795 0.3%
南関東ブロック  20,987 0.3%
東京ブロック   16,620 0.3%
北陸信越ブロック 15,767 0.4%
東海ブロック   29,739 0.4%
近畿ブロック   33,509 0.3%
中国ブロック   14,383 0.4%
四国ブロック     8,171 0.4%
九州ブロック   31,848 0.5%

●幸福実現党2009年衆院選【比例代表】得票率

北海道  0.61%
東北     0.68%
北関東  0.62%
南関東  0.51%
東京     0.51%
北陸信越 0.71%
東海     0.68%
近畿     0.72%
中国     0.75%
四国     0.87%
九州     0.67% 


これはどうしたことであろうか。選挙の結果、比例区での投票総数は全国で21万6千票。
しかも、得票率は2009年の選挙の時より下落しているではないか。

全世界で信者が1,100万人を超えるという(雑誌『週刊ダイヤモンド』2009年9/12号)巨大教団「幸福の科学」信者は投票所に行かなかったというのであろうか?
あるいは、超国家的な陰謀によって投票が妨害されたであるとか、投票結果に不正工作がなされたのであろうか。
そんなことがあってはならないではないか!

天は怒っている!
大川隆法総裁に天照大神が降りた。天照大神は日本の現状を嘆き、恐るべき警告をしているではないか。

「日本の希望は1パーセントしか残っていない」

――天照様が、過去、二冊の本でおっしゃったことは、すべて、そのとおりになってきております。そして、今日のお話も、かなり厳しいお話だと思います。われわれには、少なくとも、本当の意味での本気を出すまでの時間が残っているのでしょうか。
天照大神 もう、九十九パーセント、終わりました。あと一パーセントぐらいです。だから、もう日本の運命が固まりかかっています。私は、「日本列島が全部沈んだって全然構わない」という立場ですから、わが意に添わないのであれば、そうなっても別に構いません。
 日本人が一人もいなくなっても結構です。もう一回、つくりますから。ゼロから国づくりをしますので、いっこうに構いません。だから、「生き残りたいかどうか」は、あなたがたで決めなさい。


天照大神が緊急神示「日本人よ、信仰と国家を取り戻せ」

何ということだ。
日本列島は沈んでしまうというのか!?

われわれは大川隆法総裁の怒り、満腔の獅子吼を重く受け止めなければならないのである。


 















2012/07/18

映像の豊穣、シナリオの貧困

映像技術は進歩したけれど・・・


ああ、またCGだ。
映画やドラマを見ていて、CGのシーンになんだか冷めちゃうことがあるよね。
たまにザッピングしつつドラマを流して見ている。
すると、あ、ここCGだな、と思う機会がずいぶんと増えてきた。
昔の風景の再現であったり、架空の会社の外観だったり、大きな事故の様子など、これまでは色々とゴマカしてきた画をきちんと見せるようになってきた。
エンドクレジットでCG担当スタッフの名前が流れ、とうとう日本のドラマでもCGが使われる時代になったのか、とある種の感慨を覚える。
ところが、 VFX/CGって気づいちゃうんだよな。淡い中間色で描かれた絵なのに、突然、原色の絵が混じってしまうような違和感を覚えてしまう。
演出家も、VFX/CGを担当している人も、「はい、CGでござい!」という映像づくりをしている気がする。

気持ちはよくわかる。

これまで予算や時間などの制約で撮影できなかった画を創り出すのがたやすいので、よし!一丁やっちゃうか、となっちゃうのだと思う。
でも、それはVFX/CGというツールをうまく使いこなせていないってことではないだろうか。
VFX/CGはドラマの世界をきちんと踏まえて、その世界を創るピースとして使われるべきなのに、そうなっている作品はまだ少ないような気がする。
もしくはVFX/CGがうまく使われているとしたら、我々は使われていることなぞ意識しないで、ドラマにのめり込んでいるはずだ。

VFX/CGの進化のスピードは想像を絶する。
安価に、速く、精緻な映像を作れるようになってきた。
おかげでわれわれは<見るからにすごい映像>をたくさん目にすることができる。
でも、われわれは<見るからにすごい映像>には慣れてしまう。すぐに<すごくない映像>に思えてくる。
すごい映像はインフレを起こしている。で、我々はVFX/CG製の映像の洪水のなか、不感症になっていく。
たぶん、すごい映像でも、「これはCGだ」「VFXだな」「合成だ」と気づいてしまうんだ






























THE LAST MESSAGE 海猿 スタンダード・エディション [DVD]

興収80億円だという。
この映画にはテレビ局が制作する映画の抱える問題が如実に現れていると思った。



VFX/CGは日々巧妙で精緻になっていく。
けれども、物語の世界になじまないままで浮いていることが多い。
「ほらCG使っていますよねえねえ皆さんすごいでしょ見てくださいよ」と大声で自慢しているようなカット。
そういうのを、映画でもドラマでもよく目にする。
まだそういうレベルだということなんだろう。
永六輔さんがラジオで、染み抜きの職人さんから聴いた話を紹介していた。
「染み抜きという仕事は、仕事したことが分かってはいけない仕事。世の中にはそういう仕事もある」
スタンリー・キューブリックはほぼ同じ意味のことを、特撮について述べている。
「特撮だ、と観客が気づくカットは失敗だ」と。

そうなると日本のVFX/CGは失敗しているものが多い。

アメリカでは、TVドラマであってもキューブリックの言葉に倣っている。
マーチン・スコセッシ監督の「ボードウォーク・エンパイア」だ。
1920年代、禁酒法時代のアトランティック・シティを舞台にしたドラマで、1920年代の街を再現するために映像技術が惜しみなく投入されている。
また、人物へのCGの使いかたにも驚いてしまう。

http://vimeo.com/18275127

http://vimeo.com/34678075









「坂の上の雲」
日本のドラマのなかでは、「坂の上の雲」のCG/VFXはきちんと「ドラマを描く」ように機能していたと思った。とくに日本海海戦は、ドラマでこういう表現ができるようになったのかと関心した。
「坂の上の雲」は3年がかりで放映されたドラマ。予算が巨額になったので、大河ドラマ枠ではなくて3シーズンに分けての放送となった。

映画もドラマもデジタル環境で撮影され、制作される。
映像を観るに、興収80億円の映画とTVドラマにさして映像的な差異がないような気がする。
アウトプットがスクリーンかTVかの違いでしかないんだろうか。

「坂の上の雲」は、時間も予算もそれなりにかけたTVドラマの「大作」である。
出演者をチェックする。東宝や東映の大作戦争映画みたいな顔ぶれだ。
日本では映画の大作とTVの大作、役者が同じぶれなのが悲しい。







「坂の上の雲」を観た。
よくできたドラマだった。海難救助映画とは比べるべくもなく、上出来だ。
しかし、日本のドラマにありがちな、とくに「大河ドラマ」にありがちな悪弊から逃れられていなかった。肝腎な箇所になると「語り」と称してナレーションで長々とした説明が入る。
とたんに、「紙芝居」でも見せられているような気がしてくる。
どうして「語り」に頼るんだろうか、と思う。


映像の進化、シナリオの貧困

VFX/CGによってリアリティがあって質の高い映像が出きるようになった結果、映画やドラマの問題点がはっきりしたんじゃないかと思う。
それは、演出の貧困さや役者と呼びたくないような人たちの芝居の貧弱さや、脚本と台詞のダメさがあはっきりと浮き彫りになってしまったといこと。
上に動画を貼った海難救助映画だとか、お台場の警察署が出てくる映画、その他多数。TVドラマについていえば両手に余る。
画はマシになっても、いつもながらの記号的な台詞に記号的な演技。
カネも時間もかけていない脚本。
演技の訓練を受けていない者が出てきて主役や園周辺を演じるという不幸。

そういう作品の多さにうんざりしつつ、新しいドラマが始まるとかすかな期待を込めて初回を見る。

















おしまいに、テレビドラマでこれほどの表現に挑んでいるというムービーを。

2012/07/17

怪談|隅田川の黒い影

歩くのが好きで、地下鉄ふた駅、三駅ぶんくらいは歩く。
歩きながら、あれこれ考えるのが好きだ。ラジオを聴きながら、景色の変化を楽しむのもいい。日頃の運動不足を多少なりとも補いたいとも思う。

ある春の晩、八重洲近辺で呑み、酔い覚ましも兼ねて歩き出した。
3月、とても暖かい晩だった。
永代通りに出て、日本橋を過ぎて茅場町。立ち食いそば屋に入ってもりそばを手繰る。

ふたたび歩き出して、かつての山一證券本社ビルを過ぎる。
ほどなく、隅田川にかかる永代橋だ。
右手には佃島。高層マンション群が美しい夜景を作っている。
静寂。
永代橋は絶えずクルマが往来するが、その時は信号のかげんなのか、クルマの行き来が途絶えた。
手すり越しに、左手の川面を見やる。
左側は灯りが乏しく、水面はくろぐろとしていた。
黒い水面になにかが浮いていた。いや、溺れるようなしぐさをする人影に見える。
真っ黒な人影なのに、なぜかちいさな女の子であることがわかった。
目を凝らしてみると、いくつもの黒い影が浮かんできて手足をバタバタとさせている。
ところが、水面を叩く音はまったく聞こえてこない。
もっと目を凝らそうと手すりから身を乗り出した。

そのとき、トラックのクラクションが鳴って我に返った。

慌てて橋を渡りきった。

家に戻ってTVをつけると、ニュースの時間だった。
ニュースでは、今日は東京大空襲のあった日で都が主催する追悼式が行われたと言っていた。
インタビューのマイクを向けられた老婆が、きょうだいが日から逃れようと、隅田川に飛び込んで亡くなったんですよ、と涙ながらに語った。

あれから何度か、夜半に隅田川を渡る機会があったが黒い影を見ることはなかった。

ひとり百物語 怪談実話集 (文庫ダ・ヴィンチ)

恐怖箱 厭怪 (恐怖文庫)