Pages

2012/07/17

怪談|隅田川の黒い影

歩くのが好きで、地下鉄ふた駅、三駅ぶんくらいは歩く。
歩きながら、あれこれ考えるのが好きだ。ラジオを聴きながら、景色の変化を楽しむのもいい。日頃の運動不足を多少なりとも補いたいとも思う。

ある春の晩、八重洲近辺で呑み、酔い覚ましも兼ねて歩き出した。
3月、とても暖かい晩だった。
永代通りに出て、日本橋を過ぎて茅場町。立ち食いそば屋に入ってもりそばを手繰る。

ふたたび歩き出して、かつての山一證券本社ビルを過ぎる。
ほどなく、隅田川にかかる永代橋だ。
右手には佃島。高層マンション群が美しい夜景を作っている。
静寂。
永代橋は絶えずクルマが往来するが、その時は信号のかげんなのか、クルマの行き来が途絶えた。
手すり越しに、左手の川面を見やる。
左側は灯りが乏しく、水面はくろぐろとしていた。
黒い水面になにかが浮いていた。いや、溺れるようなしぐさをする人影に見える。
真っ黒な人影なのに、なぜかちいさな女の子であることがわかった。
目を凝らしてみると、いくつもの黒い影が浮かんできて手足をバタバタとさせている。
ところが、水面を叩く音はまったく聞こえてこない。
もっと目を凝らそうと手すりから身を乗り出した。

そのとき、トラックのクラクションが鳴って我に返った。

慌てて橋を渡りきった。

家に戻ってTVをつけると、ニュースの時間だった。
ニュースでは、今日は東京大空襲のあった日で都が主催する追悼式が行われたと言っていた。
インタビューのマイクを向けられた老婆が、きょうだいが日から逃れようと、隅田川に飛び込んで亡くなったんですよ、と涙ながらに語った。

あれから何度か、夜半に隅田川を渡る機会があったが黒い影を見ることはなかった。

ひとり百物語 怪談実話集 (文庫ダ・ヴィンチ)

恐怖箱 厭怪 (恐怖文庫)

0 件のコメント:

コメントを投稿