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2018/08/16

大藪春彦『餓狼の弾痕』のかつてない読書体験。



『餓狼の弾痕』は、大藪春彦晩年の小説である。
読んでみた。

これくらい衝撃的な作品もない。
ページを繰りながら、脳がしびれてくる。

この作品の粗筋を記す。

金銭強奪組織「オペレーション・ヴァルチャー」がある。
組織の強奪実行部隊を描く小説である。

1・強奪実行部隊が、悪徳金満家の家に忍び込む。

2・護衛たちを射殺する。

3・悪徳金満家から金を奪う。

4・見せしめに愛人を爆殺する。

5・悪徳金満家から次の獲物を聞き出す。

6・悪徳金満家の家から脱出する。

小説の冒頭から最後まで1~6を繰り返す。

文章もほとんど同じで、金品を奪われる悪人と爆殺される対象が変わるだけなのだ。






事象が繰り返されるというセカイ。
〈ループもの〉という

読み進むうちに目眩にも似た感覚にとらわれ、あやうくトリップしかけるというドラッグのような小説である。私は大薮の晩年の作品をほとんど読んでいないが、多くの作品が表現の「繰り返し」だったらしい。
検証しようと思ったが、大薮ノヴェルスは古本ですらも入手が難しくなりつつあり、電子書籍化されているものも少ない。



ワープロやパソコンを使って執筆する作家ならば、コピー&ペーストで容易に書けるものだろうが、はたして大薮春彦はキーボードを叩いて書く作家だっただろうか。

晩年、大薮春彦は病を得ていたともいわれる。
一説には、アフリカやモンゴルでの狩猟のさいに、ウイルスに感染してそれが後に脳を侵したともいう。
侵された脳はその働きがおかしくなって、大藪春彦じしんは描写がリフレインしていることにも気がついていなかったという説もある。

しかし、だからと言って大薮春彦という希代の作家の偉大さがいささかでも損なわれるものではない。

大薮春彦は、「野獣死すべし」を書いたという一点で偉大である。





そして、長年にわたって本屋の棚を占拠してきた圧倒的なボリュームの作品群を生み出した旺盛な創作意欲には目を見張る。
読みはじめたら止まらず、「大薮中毒」の症状を呈して、次から次へと、未読の作品を漁ることになる。
硬質な文体を用い、圧倒的な暴力描写によって描き出される人間の恐るべき業。
時には小説のバランスを崩して書かれるメカニズムや武器の細密な描写。さらには主人公のトレーニングや食事の場面にも息をのむ。
伊達邦彦や西城秀夫、鷹見徹夫・・・大薮アンチヒーローにどれだけ励まされたことであろうか。

大薮春彦は、それ自体が「大薮ノヴェルス」というジャンルだった。

膨大な数の亜流を産みだしたものの、誰も大薮を凌駕することなしえず、「大薮の前に大薮なし、大薮の後に大薮なし」(平井和正)と形容される、日本の文学界に孤絶して屹立する巨峰だった。
平井和正は「野獣死すべし」を読んで衝撃を受け、純文学志向を捨ててエンタテインメント小説を志向するようになった。
「ウルフガイ」「アダルト・ウルフガイ」「死霊狩り」などの平井の初期から中期の小説には大藪春彦の圧倒的と言っていい影響が色濃く出ている。
亜流は多数登場したが、大薮ノヴェルスの一部を剽窃して希釈したような小説ばかり。

かつて、大藪春彦の全盛期には、ほぼ読書はしないが大藪春彦だけは読むだとか、小難しい本ばかり読んでいると思われる人が大薮ノヴェルスを大量保有していたとか、そういうふうに思ってっだってない形で分厚く支持されていた作家だ。

いま、本屋に足を運ぶと新刊として手に入る大薮作品の数の少なさに悲しくなる。若い本の読み手は大薮を「体験」する機会が限られるのだから。

ここから書くことは妄想である。

大薮春彦は人間の業、人間がつくり出す底なしの地獄の様を描き出してきた。
もしかしたら大薮は無意識のうちに「悪魔」を召喚して、その力を得ていたのではないか。そしてその代償として人間としてのちからを奪われたのではないか・・・
そんな事を思ってしまうのだ。







2018/04/30

長時間映画はトイレ休憩をいれたほうが良くないか?

とんでもない予算を投入した特撮ヒーロー大集合映画『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』は前後編の前編で150分。エンドクレジットタイトルは10分を超える。

『スター・ウォーズ最期のジェダイ』は152分。
『ブレードランナー2049』は147分。
『ダークナイト・ライジング』、『トランスフォーマーズ・ロストエイジ』が165分。
『インターステラー』169分。

上記のような上映時間が長い映画を鑑賞する場合には、尿意を起こさないようにする準備が必要になるのだ。
映画を観る数時間前から水分の摂取を控えておかなければならない。
でないと、映画鑑賞中は尿意と対峙せざるを得ない。排尿を我慢すると映画に集中できなくなり、ついにはクライマックスで中座してトイレに駆け込むことになる。そのとき、我慢の限界を読み違えると下着はおろかズボンまで濡らしてしまいかねない。
映画鑑賞中にトイレに行こうとして席を立って眼前を通っていく人がうっとうしい。トイレ帰りにも鑑賞を邪魔されるというのもいやだ。
トイレで中座する人は、映画の長さに関係なくいるが、本当に鬱陶しい。

長尺な映画の場合、睡魔との戦いという問題もよく起こる。
寝てしまって肝心な部分を見逃す。
ほかの寝ている観客が耳障りなくらい大きないびきをかき、それが気になると映画の内容が頭に入ってこない。
勇気を奮っていびきをかいている人を起こしてみたら怒り出して喧嘩になって他の観客から出てけと罵声を浴びせられてついには映画館の人が出てきてご両人ともお引取りくださいとなって映画の代金が無駄になってしまう。警察を呼ばれて連行される事態もありうるのではあるまいか。

映画館/シネコンによるが、椅子が良くないと腰や臀部が痛くなってきて、これもまた映画に対する集中力を著しく低下させる。
上映時間の長い映画は身体の健康状態を推し量る指標になりうると言える。

映画が老人主体の娯楽になりつつある今、映画がどんどん長くなるというのはつらい話だ。上映時間が90分を超える映画は、一律にトイレ休憩を入れたいいのではないか。
尿意でシネコンでの映画館鑑賞を諦めていた人には朗報になる。

長時間映画はシネコンで観るのはあきらめて、自宅で鑑賞のほうがいいかもしれない。トイレで中座しようが、途中で寝ようが問題ない。


長時間映画のオススメは『ブレードランナー2049』。
この映画の特筆すべきは、映画の中で行われるイベントの少なさ。
『アベンジャーズ』シリーズとかマイケル・ベイとかローランド・エメリッヒの映画などは派手なイベントが波状攻撃を仕掛けてくる騒々しいものばかり。
『ブレードランナー2049』は、〈静謐さ〉を堪能できる稀有な作品だと言える。

美しく静謐な映画で時を忘れていつの間にか夢のなか。





2018/03/08

Netflixは平井和正の傑作『死霊狩り』をアニメ化せよ。

平井和正の『死霊狩り(ゾンビー・ハンター)』はNetflixかAmazonビデオでアニメ化したらいんじゃないかと思う。




世界では局地的な戦争や内戦が続いていた。世界には憎しみが充満していた。
東西の陣営は軍拡競争に奔走し、人類は、世界滅亡の危機にさらされているのだ。
そして、人類にはもう一つの深刻な〈見えない危機〉が迫っていた。
宇宙から未知の生命体が侵入してきた。そいつらは、寄生生命体で、人間に憑依し、たちまち狂暴な怪物に変えてしまうのだ。
この恐るべきエイリアンに対抗すべく、世界中から過酷な選別テストを経て選ばれたキリングマシーンたちで結成された超国家的秘密機関、それが〈ゾンビーハンター〉だ。

恋人も生活もゾンビーに奪われ、憎悪に身を焦がす主人公、田村俊夫。
物語は、田村を見舞う過酷な運命を容赦なく描いている。
中東出身の女戦士・ライラ、そして物語のカギを握る謎の多い中国人・林石隆。
ゾンビーハンターたちが実にいい。
そして謎の司令官〈S〉も正義の側にいるはずなのに、おそろしい相貌を持っている。

平井和正の人物描写と文体はじつに魅力的。
情念を濃密で、飽きさせない文体で書いている。
読み終わるのが惜しい。

〈ゾンビーハンター〉になるための過酷かつ暴力的なサバイバルテストの描写。
ゾンビーハンダーが使う銃火器の描写も、暴力描写も大藪春彦の小説に酷似している。
ある時期までの平井和正の小説は大藪春彦の圧倒的な影響の下で書かれていた。
この作品は初期『ウルフガイ』シリーズとともにその影響がはっきりと出ている。
しかし、人物描写で、平井和正は魅力を放っていて、単なる模倣者で終わってしまった暴力小説の作家たちとは異なる。

『死霊狩り(ゾンビー・ハンター)』は、魅力的な題材なのに、今まで映像化されていない。
いま日本で〈侵略テーマ〉でかつ暴力的な描写の際立つ小説を映像化しようとするのであれば、アニメーションがいい。
で、映画だと2時間という長さで収めるという時間的な制約があり、原作小説3巻ぶんを駆け足で描くか、2部作・3部作で描くという、興行的なリスクのある方法となる。

となれば、映像表現で制約がなく、かつグローバルな市場のあるネット配信のアニメシリーズがいいのではないか。
『BLAME!』『DEVILMAN Cry Baby』『B:The Beginning』など、これまでの日本アニメの表現から踏み出した領域に挑んだアニメに続く作品として、『死霊狩り(ゾンビー・ハンター)』は適している。
例えば、膨大な軍事知識の持ち主でもある片渕須直監督が取り組んだら・・・などと想像をたくましくしてしまう。
この小説が描くのは、人類の業であり、それを稀代の映像作家がどう描くか、見たいという欲を持ってる。

平井和正が静かに世を去って、その名は人々の記憶から消えようとしている。
『幻魔大戦』で、合計2,000万部も売った作家であるはずなのに、名は知られていない。
それが悔しい。
初期から中期の脂が乗っていた頃の平井和正の小説は、本当に面白いのだ。
多くの人に読んでほしい。