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2017/03/12

実写でアニメ!&細かいことはどうでもいい『トリプルX:再起動』

『ワイルドスピード』シリーズでおなじみ、ヴィン・ディーゼル主演のスパイ・アクション映画、それが『トリプルX:再起動』だ。

この映画を観て、かつて名画座でみた古い映画が、フィルムがボロボロなのかキズや線が入り、あげく何十秒、もしくは数分飛んでしまう、などということがあったりしたと言うことを思い出した。
それでも、映画を理解するのには問題はない。
途中で居眠りしても、トイレに立って数分の間、鑑賞が中断しても、映画がまるっきりわからなくなるということはない。
TV放映に合わせて、切り刻まれトリミングされても観ればちゃんとわかる。





なんてことを、この映画を観終えて思い浮かべた。
この映画は、フィルムが切れたとか、中座して見逃したわけでもなく、描写がつながらない箇所がある。



だが、なんの問題もない。

『トリプルX』のじつに16年ぶりに作られた、シリーズ第3作である。

危険なナゾの組織の手に渡ってしまった「パンドラの箱」奪還のため、エクストリームスポーツ界のカリスマであるザンダー・ケイジが再び国家安全保障局(NSA)に召集された。
ザンダーを演ずるのは、ヴィン・ディーゼルである。人間離れしたアクションを平然とこなす。
「パンドラの箱」は、3万基もある世界中の軍事衛星をコントロールできる装置である。
ナゾの組織は、衛星を地表に落とす。ガンダムの「コロニー落とし」の規模の小さいやつみたいだけど、世界を滅ぼすにはじゅうぶんだ。
ザンダーははぐれものや変わり者を集めて「トリプルX」というタスクフォースを編成し、世界壊滅をもくろむ陰謀に立ち向かう。メンバーは女スナイパー、インド系美女、メガネのインテリ女、中国人DJなどで、多民族というか無国籍な匂いがしていい。
そして、宇宙最強の男・ドニー・イェンがトニー・ジャーを従え、強大な敵 として立ちはだかるのだ。
「パンドラの箱」というマクガフィンを奪い合うというお話を、実写で『ルパン三世』のようなコミカルな活劇に仕立てた。
人間なのに、ヴィン・ディーゼルもドニー・イェンもトニー・ジャーも人間離れしたアニメみたいにすごいアクションを繰り広げる。
血が出るとか肉体損壊するとかの描写がないのが、いっそう<アニメ感>を強くする。

荒唐無稽でときに描写が雑なのだが、圧倒的なアクションの快感でもってどうでもよくなる。
映画は勢いである。
視覚的聴覚的快感に身を委ねることの楽しさ、というのは確かに存在する。

この映画は降下中の飛行機内でのアクションが最大の見せ場である。
無重力状態でも最強・ドニー・イェンのカンフーファイトもあって、タイムリミットのあるなかでのバトルには興奮してしまった。
バトルも終わり、墜落中の飛行機内から飛び出したザンダーが、パラシュートも身につけることなくびゅーんと落下していく。

で、地上に涼しい顔して現れる。
どうやって地表に戻ったのかと考える間もなく、話は進んで、これまたキチンと地上に戻っているドニー・イェンとおれたちバディ、イエィー!になって、続編ありそうだぞと思わせる。

なんというか、色々と説明がなかったり、アクションの勢いに流されていたりしているのだが、そんなのどうでも良くなってきて満足感に包まれてシネコンを後にしたのだ。

大きな映像といい音響を楽しむ。
これも映画の良さだ。
3Dで迫力満点だ。

映画は諸事情によって「つながらない」「説明がない」場面がある。
たとえば、『レイダース/失われたアーク』では、聖櫃の秘密をつきとめんがため、インディアナ・ジョーンズが聖櫃を積み込んだUボートに潜入しようという場面があるが、ナチスの秘密施設に行くまでどうやって過ごしたかがまったく描かれていない。
(ハッチを開けて潜入したかもしれないし、海上航行の間、どこかの隙間にでもいたのかもしれない)

こんなのがゴロゴロしている。

編集がおかしいのは、映画の公開日が決まっているのに時間が足りなかったんだとか、プロデューサーと監督がケンカした結果そうなったとか、監督が発狂したとか、あるいは映画館では、フィルムが切れたのでその部分を飛ばして接着し直した結果そうなったとか。

そういう邪推もまた楽しい。








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