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2014/05/06

「宇宙戦艦ヤマト2199」と高齢化したおたくと。

2013年の9月。TV版「宇宙戦艦ヤマト2199」の最終回では、エンディングの余韻に浸る間もなく、2014年に新作映画公開という告知が流れた。
驚いたのと同時に、どこか納得するものがあった。
「宇宙戦艦ヤマト2199」の放映が終盤に近づくにつれ、終わるということに寂しさを覚え、<続きを見たい>という思いがあったからだ。
私はすっかり「宇宙戦艦ヤマト2199」に魅入られてしまった。この作品には惹きつける力が宿っていた。

見終わって、思う。

「宇宙戦艦ヤマト2199」は「宇宙戦艦ヤマト」のリメイクではない。
「宇宙戦艦ヤマト」を材料にした、まったく新しい作品である。




そう考えたほうがすっきりする。
そう言ったほうが、最初のテレビシリーズ、「さらば宇宙戦艦ヤマト」以降の一連の作品を信奉する人々にとってもいいだろう。

「宇宙戦艦ヤマト2199」は、「宇宙戦艦ヤマト」とは別のものだ。
だが、そう思わない人々がいるようだ。

リ・イマジニングと
オールドヤマトファンの昏い情念

出渕裕総監督はじめ、スタッフはTVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト」のストーリーを洗い直し、丹念に作りなおした。その際に設定をチェックするとともに、「さらば宇宙戦艦ヤマト」以降の続編のなかからも設定を拾ってうまく利用した。それはオマージュの意味も、もちろんある。
「宇宙戦艦ヤマト2199」は、アメリカのTVシリーズの傑作「BattleStar Galactica」と同じく、リ・イマジニングと銘打つべき作品である。
「BattleStar Galactica」は、1978年に放映された同名のTVシリーズをリメイクした作品で、2003年から断続的に4シーズンにわたって放映され、スピンオフ作品4本が制作されるなど、オリジナルを遥かに凌ぐ大きな成功を収めた。
「BattleStar Galactica」と同じようにして制作されたのが「宇宙戦艦ヤマト2199」だ。


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設定も人物も各種のメカも全面的に見直しし、2012年/2013年の時流に合う形にリファインした。
だから、単なるリメイクではなく、リ・イマジニング=再創造なのだ。

たとえば「2199」の古代進は、1974年版ヤマトの古代進とはまったく違う人物で共通なのは名前くらいしかない。
言うまでもないが、前言を簡単に忘れてしまうような熱血青年が主役を張れる時代はとうの昔に終わってしまっている。1974年版ヤマトの古代進は「恐怖の欠陥人間」と称されていた。
さっきまで敵地で派手に砲撃戦をやっていたのに、無残な破壊の跡を見るや、唐突に「我々に必要だったのは愛し合うことだ!」などと言いながら滂沱の涙を流す主人公などもはや存在し得ない。
これは「人物設定」が徹底せず、脚本家はすり合わせをせず、また脚本のトーンを統一するという作業も存在しなかった結果だ。
なぜかは知らないが、「宇宙戦艦ヤマト」の文芸作業は総じて粗雑だった。
女性の乗組員がたったひとりの宇宙戦艦というのも同じくあり得ない。
「宇宙戦艦ヤマト2199」は1974年のTVシリーズの瑕疵をチェックし、それを丹念に設定しなおしたのである。


宇宙戦艦ヤマト2199 加藤直之 ARTWORKS

個人的には土方竜、フラーケンの登場、<辺境の蛮族>ガトランティスの登場には拍手を送った。
これは遊び心だし、気の利いたファンサービスであると思う。

そして、これは「二次創作」のようでもある。

「二次創作」かつて、無数にあったファンの手になる「二次創作」のヤマトのようにも見える。
これが、ごくごく一部のオールド・ヤマトファンをいたく刺激したのではないかという気がする。なにしろ出渕裕は1974年の「宇宙戦艦ヤマト」放映直後からファン活動をしてきたという最古参ヤマトファンと言っていいひとなのだ。
ファン活動が業界の人の目に留まってプロとなったという、同人誌世界の出世頭のような存在だ。
そして、出渕裕はかつて自分が夢中になった作品のリ・イマジニング作品の制作に総監督として濃密に関与した。しかも、旧作の制約や西崎義展や松本零士といった「うるさい声」も退場してしまった環境でもって、新しいヤマトを創るという立場にあった。

出渕裕がファン活動をしていたのと同じ時期、同じように「ヤマト」を題材にした同人誌づくりに手を染めていた人が少なからずいるし、その中には創作志向が強い人が少なからずいた。アニメの作り手になること、マンガ家になること、あるいは作家になることを夢に見た人もけっこういたのだと思う。
で、言うまでもなくそういった人びとのほとんどはそういった夢をかなえることはなかった。だけど、夢の燃えかすのようなものは残っている人もいるだろう。 それが掲示板やブログやウェブサイト上に何かをものする原動力になっているのではないだろうか。
彼らにとって出渕裕、ひいては「宇宙戦艦ヤマト2199」という作品はどう映るのだろう。嫉妬したくなる存在であり、対象となる作品ではないだろうか。
「おれの創作したヤマトのほうが上だ」「出渕裕など、取るに足らない」などと上から目線で投稿しているのではないかという気がする。
掲示板、ブログなどで「宇宙戦艦ヤマト2199」や出渕裕を攻撃している人の文体は、今は亡きパソコン通信・Nifty-ServeのアニメやSFのフォーラムで目にした文体や作法がよく似ているように思うのだ。
掲示板やブログで「宇宙戦艦ヤマト2199」を「宇宙戦艦ヤマト」と比較対照しつつ、ここが良くない、ここが違う、これがダメだなど事細かに指摘をしている人たち。「している」である。今も延々とそれを続けている人がいるのである。

そういうあげつらいをするために、キライなはずの「2199」を丹念に見ているらしい。微に入り細を穿ちながら「欠点」を挙げている。

さらに、「宇宙戦艦ヤマト2199」は気に入らない、自分が考えた「ヤマト」のほうがはるかに面白い。そうとでも思っているのか、自分が考えた長文のストーリーを延々と披瀝するという人も見受けられる。
これもまた、おそるべきテキストのボリュームであったりする。
ネット上に何ごとか書くといろいろと歯止めが効かなくなる人も少なくない。とくに長文書きに情熱を傾けるというタイプの人には驚嘆を禁じ得ない。
「おれの考えたヤマト」のほうが優れていると考えている、それは自由だ。
でも、掲示板などには書かず、自分のブログに掲載するとか、同人誌を創るとか、キンドルかなんかで電子書籍にするとかしたほうがいいと思う。
もしかしたら「ヤマト2199否定派」の賛同を得て、売れるのではないだろうか。あるいはアフィリエイト収入に結びついて、懐が潤うかもしれない。

おれのほうが出渕裕より優れている。
おれのほうが宇宙戦艦ヤマトについてよく知っている。

なんと非生産的で昏い情熱なのだろう。 

「宇宙戦艦ヤマト」放映から第一世代おたくは約40年もの時間を過ごしてきた。
うんざりするような長大なテキストを流し読みすると、膨大な量の本や雑誌やCDやVHSビデオやベータマックスビデオ、レーザーディスク、VHD、DVD(古いVHSやベータ、あるいはレーザディスクを焼いたものも含まれるので膨大な枚数の場合が多い)、ブルーレイ、プラモデルにうずもれる太った老人もしくはひどく痩せぎすの姿が脳裏に浮かんでくる。
で、彼らはもちろん「宇宙戦艦ヤマト2199」を見る。確認のために、旧作の該当エピソードも見るだろう。
パソコンに向かって視聴しての「発見」を長大なテキストにする。
彼らは好きなものについては饒舌で、価値を共有するオタクの集まりなどではベラベラとしゃべり続けた。それは書くという行為に向かっても同様なのだ。
で、気に食わない「宇宙戦艦ヤマト2199」について書く。
「宇宙戦艦ヤマト2199」のことなど無視して、好きな旧作でも飽きるまで見ているとか、自分の空想するヤマトに耽溺しているほうが精神衛生上、いいことに思えるが、そういう行為が楽しいという人もいるんだろう。
おたく的な属性はそのままに、頭が固くなって新しい意見に耳を傾けることができず、自分の意見だけが正しいと思い込んで大声でそれを主張する老人の振舞いが加わった。
彼らは、かつて彼ら自身が忌み嫌ったであろう<若い者、成功している者に対してぶつぶつと文句を述べる老人>によく似ているように思う。

「宇宙戦艦ヤマト2199」についてネガティブな意見を書いたり、自分の2次創作を発表してみせる人の総数はそう多いものではないと思っている。
「宇宙戦艦ヤマト」の頃からの古参のファンは多いと思うが、ほとんどのファンは「宇宙戦艦ヤマト2199」について意見表明などせずに、静かにテレビを視聴し、映像ソフトを購入もしくは借りてきて静かに楽しんでいる。みんなネットに何事かを書き連ねる習慣は持っていないし、だいいち忙しい。
一部の人たちがネット上で膨大な書き込みに明け暮れている。
「宇宙戦艦ヤマト2199」という、「宇宙戦艦ヤマト」とは別に作品をあげつらって溜飲を下げているのは、ノイジー・マイノリティまたはラウド・マイノリティとでも呼ぶべき一部の「宇宙戦艦ヤマト」ファンである。


遠からず「機動戦士ガンダム」「新世紀エヴァンゲリオン」のファンも遠からず老人となって、作品を繰り言のように回顧するようになる。
社会全体が高齢化し、おたくもおたくのまま高齢化していく。
いつか、病院のロビーはアニメの回顧談をする老人たちで溢れるようになるのかもしれない。




宇宙戦艦ヤマト2199公式設定資料集<Earth>


新しいファンの獲得に成功した「2199」
ヤマトファンはどうするんだろう?


罵倒を好むという特殊なファンを別に、「宇宙戦艦ヤマト2199」ではじめてヤマトに触れて新鮮な衝撃を味わった人も少なからずいることと思う。
 「宇宙戦艦ヤマト2199」のビジネス面での成功を後押ししたのは新しいファンである。そして、悪罵を繰り返すノイジー・マイノリティに属さない、静かなるオールドファンも然りだ。もちろん、彼らはマジョリティだ。
最初に書いたように「宇宙戦艦ヤマト2199」とは、「宇宙戦艦ヤマト」とは異なる新しい作品である。
しかも質が高い作品だ。TVアニメとしては異例なくらい美しく、質が高い。
ファンのアニメに対する審美眼が厳しくなっている現在、その厳しい目にかなう作品はあまり多くはない。
「宇宙戦艦ヤマト2199」は厳しい鑑賞眼に応えた作品である。

そして、ビジネスの成功の帰結として、新作映画につながった。

「宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟」が公開される12月6日、新宿ピカデリーはじめ松竹系劇場には高年齢のファンが殺到するのではないかと思う。
その中には当然、ノイジー・マイノリティもいて、彼らはその晩、ネットに否定的な意見を大量に投稿するに違いない。
嬉々として。

残念なことに彼らノイジー・マイノリティを満足させるような「ヤマト」は今後登場せず、彼らは怨嗟の声を上げつつ、否定的な意見を投稿するのだろう。
たぶん、それが生きがいなのだ。




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3 件のコメント:

  1. 「リ・イマジニング」であるという意見には全面的に賛同いたします。
    ただ、それが冒頭から全面的には発揮されず、むしろ第1話は基本フォーマットまで旧作と同じで
    シリーズ前半部分がかなり旧作寄りの展開だった為に、大きな期待を抱いた旧作ファンの一部が
    後半になって表面化した「リ・イマジニング」オリジナル展開に期待を裏切られたような反発を
    持ったのではと思います。

    ただその「前半部の旧作寄り展開」があったからこそ、自分のような現役放映組の年寄りでも
    自然とすんなり作品世界に入って・馴染んでいけたというメリットもあるので痛し痒しという所ですね

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    1. コメントありがとうございます。

      ご指摘のように第1話は旧作に忠実ではありました。
      ですが、私には土方の登場が<全然違う話にするぞ>というサインに思えてニヤリとしました。
      以降、映画を含め、これまでで最高の画でもってハイテンポで濃密に進むのを拍手喝采で見続けました。


      > シリーズ前半部分がかなり旧作寄りの展開だった為に、大きな期待を抱いた旧作ファンの一部が後半になって表面化した「リ・イマジニング」オリジナル展開に期待を裏切られたような反発を持ったのではと思います。

      なるほど、そういえば後半部を批判するというか悪口を言うというか、罵倒する意見はよく見かけるように思います。

      万人が満足する作品などありえません。ましてや世間によく知られたアニメの「リ・イマジニング」作品に対しても賛否が別れるというのはしごく当然なことです。
      私は楽しみました。

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  2. 第1作も設定の再構成で、何故ガミラス艦隊と同航戦となったのか、きちんと説明できる様になってますね。
    また、沖田艦隊は全滅覚悟の特攻じみた艦隊戦を行わなくてはならなかったの理由もあります。
    ガミラスでさえ艦首陽電子砲には以前、痛い目にあっていたらしいので、同航戦となったのです。

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