画のタッチも、作品の時代背景も、作品における社会も風俗も違うというのにどうやって同じ作品世界で共演させるんだろう。
と思ったが、そんなことはどうとでもなることで、こうして30分×3本のパッケージが売られているのだ。
マーケティング的に言うと、『サイボーグ009』の新しいTVシリーズへ布石を打った
アニメであるらしい。
『サイボーグ009VSデビルマン』の反響しだいで新しいTVシリーズか新しい映画を作ろうとしているようである。
『サイボーグ009』と『デビルマン』は共通項がある。
『デビルマン』は神と悪魔の闘争を描いたマンガである。
このマンガは、主人公・不動明が牧村家に居候して娘の美樹と仲良く学校に通う大人しい少年であった。
じつに少年マンガらしい始まりかたをする。
不動明は親友の飛鳥了の誘いに乗って、地球の先住人類・デーモンとの合体を果たし、人の心を持つ悪魔・デビルマンとなる。
デビルマン=不動明は、人類を守るためにデーモンと闘う。
デーモンは人類に宣戦布告し、再び地球を支配しようと本格的な戦いを仕掛けてくる。
飛鳥了は不動明がデーモンと合体する映像をTVで公開して、「人間に化けている悪魔を殺せ」と扇動する。飛鳥了の正体は、デーモンを率いる堕天使ルシフェル(魔王サタン)だった。
人間は<人間になりすました悪魔>を狩り出そうとして、殺し合いを始める。
牧村家は暴徒に蹂躙され、皆殺しにされる。
不動明は美樹の無残な死を目の当たりにして、人類に失望し、人類のために闘うことをやめる。
人類はデーモン族の前に醜い姿を露呈して滅びていく。
20年ののち、不動明は人の心を持つデーモン・デビルマン軍団とともに飛鳥了が率いるデーモン軍団とアーマゲドン(最終戦争)に臨む。
闘いは終わり、すべてを消滅させるべく、「天使の軍団」が迫ってくる。
永井豪はそれまで誰も見たことのない世界を描き出してみせた。
ラストシーンの美しさで、記憶に刻まれる傑作だ。
日本のSF作品の到達した高みの一つと言っていい。
一方で、『サイボーグ009』にも、「天使編」「神々との闘い編」という、<神>とサイボーグ戦士たちの闘争を描こうとしたエピソードがある。
「天使編」は1969年に、「神々との戦い編」は1969年から70年にかけて描かれた。
しかし、どっちも本格的なストーリーが展開する前に中断した。その後、「天使編」「神々との闘い編」は中断したまま『サイボーグ009』は新しいエピソードが散発的に描かれるようになった。
永井豪が『デビルマン』を描いたのは、1972年から73年で、物語はしっかりと完結している。
「天使編」「神々との闘い編」は、コマを大きく取ったイメージ主体の描写が続く。神、異星人を連想させるようなイメージの連なりが続く。
これらが描かれたのは、1969〜70年である。
で、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』は1968年に公開された。この映画からも大きな影響を受けている。
『2001年宇宙の旅』では、冒頭、類人猿の時代から宇宙船の時代へと唐突にジャンプし、クライマックスではスターゲートをくぐって<スターチャイルド>誕生に到るシーンは、イメージの奔流だった。
「天使編」「神々との闘い編」は同時に、エーリッヒ・フォン・デニケンが唱えていた「古代宇宙飛行士説」の強い影響を受けて描かれている。
というよりも受け売りをしている。
「古代宇宙飛行士説」とはざっとこういう感じだ。
「古代宇宙飛行士説」は、神=超古代に地球に来た宇宙人というものだ。ピラミッドやストーンヘンジなど、巨大な考古学遺跡やオーパーツは、宇宙人の技術で作られた。
宇宙人は、類人猿から人類を創った。
世界各地に残る神話の神々は、宇宙人を神格化したもの。
上述の説に沿った主張が「天使編」「神々との闘い編」のあちこちに見られるのだ。
「古代宇宙飛行士説」のような発想は、映画ならスタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』、リドリー・スコットの『エイリアン』『プロメテウス』などが有名だし、マンガやTVの特撮モノにもたくさんある。
「古代宇宙飛行士説」で検索すれば膨大な情報が出てくる。
ただし、「異星人が人間に進化をもたらした」というような、最初から結論ありきの思考停止したものばかり。
古代の人がいかなる技術でもってピラミッドを作ったのかとか、そういう真面目な検証はしないで、異星人の技術がそれを実現したのだなどと書く。
眉に唾をつけて読むべきだ。
「天使編」「神々との闘い編」は、『2001年宇宙の旅』や「古代宇宙飛行士説」を借用しつつ、「これから神との闘いが始まりますよ」と思わせるような仄めかしでもってマンガ執筆を中断する。
最初読んだ時は、肩すかしを食らったような気分になった。石ノ森章太郎は、<神との闘い>を描きたいと思いついたものの、商業誌に掲載して読者を満足させる具体的なストーリーは思いつかなかったから、途中でやめてしまったのではないだろうか。
『サイボーグ009』は掲載誌を次々と変えながら長く描かれてたマンガだった。
『少年キング』では、「ミュートスサイボーグ編」の最後で「その後のサイボーグたちの運命を知る者はだれもいない」と結ばれていた。
『少年マガジン』に掲載誌を移し、「地下帝国ヨミ編」の最後で009こと島村ジョーは002ことジェットとともに大気圏突入によって燃えて流星になるという最期が描かれた。
が、続きは描かれた。ふたりとも助かったという触れ込みで、 『冒険王』に移って再開、「天使編」が中断後は『COM』で「神々との闘い編」を描くも中断。
その後は、あちこちの漫画誌や学習誌などに『サイボーグ009』は描かれる。「地下帝国ヨミ編」で見事な終わり方をしているので、あとのは馬鹿みたいに長い蛇足でしかない。
どうして「天使編」「神々との闘い編」を再開せずに、読み切りの別作品ばかりを描いたのだろうか。
かつての弟子・永井豪が世評の高い『デビルマン』を上梓したことも影響したのだろうか。
で、石ノ森章太郎は世を去った。
これで『サイボーグ009』は終わりかと思った。終わりかと思ったら、石ノ森章太郎の息子、小野寺丈が『009 conclusion GOD’S WAR サイボーグ009完結編』という小説を発表、のちに石森プロがコミカライズした。
石ノ森章太郎が生前、病室で書いたという、膨大な作品に関する構想メモを元にしてノヴェライズしたものなのだという。小野寺丈というひとは俳優という肩書だが、小説を書いているのである。
ゼロゼロナンバーサイボーグの敵、神は異星人であるという解釈で「天使編」「神々との闘い編」の当初の構想に沿っているものだ。
いまさら「古代宇宙飛行士説」に沿った異星人=神を持ちだして敵に据えるのか、と思った。
「天使編」「神々との闘い編」は、幻の作品で終わったほうが幸福だったんじゃないのか。
どうにも生ぬるい。
なぜ、そう感じるかというと、すでに富野由悠季が創った『伝説巨神イデオン』を見てしまったからだ。
富野由悠季は宗教のイメージやら「古代宇宙飛行士説」を安易に用いることなく、イデと呼ばれる超越的な存在を描いてみせた。「神」という言葉もいっさい用いることはなかった。不可視の存在として、映像の形で出てくることもなかった。
しかも、イデとは人間の生み出した<神>とは異なる、人間には理解し得ない存在として描かれているのだ。いや、富野由悠季は「神」すらイデの一部なのではないかとさえ言う。
ロゴ・ダウの異星人(地球人)とバッフ・クランは不幸な遭遇をし、イデのもとでエゴをむき出しにして絶望的な闘いを繰り広げ、ひとつの世界は終焉する。そして、人々は再生へと向かう。
そういったすさまじい作品に触れた後で読むと、「神とはなんと異星人だったんですよ!」という疑似科学を引きずったおはなしは、生ぬるいとしか感じられない。
一方の永井豪は、『デビルマン』が漫画家人生を大きく左右している。
かれの描く作品の多くは、『デビルマン』の変奏曲だ。
『魔王ダンテ』『バイオレンス・ジャック』『デビルマンレディ』など、『デビルマン』に連なる話を何度も描いている。
自分が構築した世界に囚われてしまったかのようだ。
『サイボーグ009VSデビルマン』は、昔、『サイボーグ009』『デビルマン』それぞれの原作を読んでいたファンには満足できるデキなんだと思う。
というか、老境に入ったおたくの財布を狙っているのは見え見えだ。
『デビルマン』はジンメン編、『サイボーグ009』はミュートスサイボーグ編という、評価の高いエピソードを取り込んでいる。
しかし、話が詰め込み過ぎな印象もある。
デビルマン&飛鳥了と009以下ゼロゼロナンバーサイボーグの対立、デビルマン対デーモン、ゼロゼロナンバー・サイボーグ対ハイティーンナンバー・サイボーグの闘いを30分×3本に盛り込んでいるのだ。ハイティーンナンバー・サイボーグというのは、ブラック・ゴーストが開発したサイボーグたち。能力はもちろんゼロゼロナンバー・サイボーグを上回るものの、主役ではないので負ける。
昔、よく食べに行ったレストランの前を久々に通りかかった。改築してて昔の面影はあまりないが、入って食べてみると、昔なじみの味でよかった。
そういう感じだ。
ちょっと思ったのは、このアニメ、キャラクターデザインを島田和彦に依頼したら良かったんじゃないだろうかということ。石ノ森章太郎と永井豪に強い影響を受け、リスペクトしている人にやってもらったら良かったんじゃないか。話題にもなっただろうし。
『サイボーグ009VSデビルマン』の売上はどうなのか。
○サイボーグ009VSデビルマン(OVA)
【BOX版】
巻数 初動 発売日
限定 1,525 15.11.11
通常 *,563 15.11.11
【単巻版】
巻数 初動 発売日
01巻 *,291 15.11.11
02巻 *,*** 15.12.09
03巻 *,*** 16.01.06
DVDやBlu-rayで儲けようという商売だとしたら、初動の数字はどう評価すべきなのだろうか。今後、売れ行きは伸びるんだろうか。
続編を見るという未来はあるのだろうか。
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