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2013/08/30

「宇宙戦艦ヤマト」以前の「ヤマト」

西崎義展と松本零士の著作権裁判について検索してみると、

<「戦艦大和」が蘇る>だとか<戦艦が空を飛ぶ>などというアイデアは、「宇宙戦艦ヤマト」以前にあったものだ。
したがってオリジナリティはない。
そういう主張を目にする。




あるブログのエントリーに『ヤマト以前の「レイズ・ザ・ヤマト」』という面白いものを見つけた。

「復刻版 青の6号」の感想を書いたエントリー内でも書いたことと重複するのだが、敵側組織・マックスが繰り出した超兵器「ヤマトワンダー」を見た とき最初に思ったのは、「沈没した大和を引き揚げて改造、オーバーテクノロジー搭載兵器としてリユースする(敵と味方という立場の違いはあるが)」という 発想は、「宇宙戦艦ヤマト」に先駆けている
(「青の6号」連載は1967年、「宇宙戦艦ヤマト」の放映開始は1974年)

ということだった。
フィクション作品に登場した「リユースヤマト」はもしかしてこれが最初なのでは?と思い調べてみたところ、そういうわけでもなく、すでにいくつかの先行作品が あった。
ヤマト以前の「レイズ・ザ・ヤマト」 (漫画)

「宇宙戦艦ヤマト」以前の、同じようなアイデアについて書かれたエントリーだ。
梶原一騎原作の「新戦艦大和」に、「青の6号」に登場する、沈没した大和を改造した超兵器「ヤマトワンダー」、これは現代なら盗作で裁判になってもおかしくはないんじゃないか。

これらだけではなく、戦艦大和を改造して兵器にするという設定はけっこうあるのだ。

松本零士は、海野十三の戦前の小説を引き合いに出して、戦艦が空を飛ぶアイデアは新しくもなんともないと述べていた。

小沢さとると西崎義展に因縁らしきものがあったらしいのが気になった。
小沢さとるの未発表作品に「ヤマト」が銀河を航行するという作品があった。西崎義展がそれを読んで、のちに「宇宙戦艦ヤマト」を発表する。
西崎義展が剽窃したとも取れる。
これは本当なのだろうか。西崎義展という人のふるまいは、そう思わせるいかがわしさがあったな、と思う。

「戦艦大和」を取り上げた創作については、Wikipediaにある以下の項目も面白い。

大和型戦艦に関連する作品の一覧

米軍と交戦して沈没、海に眠る超弩級戦艦、その存在は、ある時期まではイマジネーションを刺激するものだった。
しかし、海底探査の結果、大和は真っ二つになっているのが明らかになってから、創作物に登場する大和は「宇宙戦艦ヤマト」くらいになってしまったようだ。



3 件のコメント:

  1. どうも初めまして。1972年生まれのAizengaldと申します。ヤマトに遭遇したのは親に連れられて初代を映画館で見たのが最初という結構珍しい人間だと思います。諸先輩方同様に、ヤマト2199については非常に楽しまさせていただきました。先週の横浜と新宿のヤマトークで出た話を書かせてください。

    宮武さんとのトークでは、ちょうどこの話がでておりました。どうもごく初期段階から宇宙戦艦というコンセプトに移った時に、西崎氏がビジュアル的に物語を支えられる人物を探すという時に、ヤマトワンダーのビジュアルに魅せられたスタジオぬえのメンバーが、小沢さとる氏を挙げたようです。それではと西崎氏が会いに行ったようですが、断られたようです。その時の理由としては小沢さんは「僕は女性を船に乗せられないから」だったようですが、ご紹介のページにあるように艦艇や潜水艦を別の人に書いていたことをかんがみると、それも理由の一つなのかなと思います(ここはAizengaldの考えです)。その時にどうも私にもこういうアイディアがあるとギンガギンガギンガの下案を西崎氏に見せたようで、そうしたアイディアがヤマトに反映されている可能性はかなりあるようにも思えます。もっとも宮武さんは小沢さんに私淑しておりますので、一方からの見方には違いないとは思いますが…。

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  2. どうも初めまして。1972年生まれのAizengaldと申します。ヤマトに遭遇したのは親に連れられて初代を映画館で見たのが最初という結構珍しい人間だと思います。諸先輩方同様に、ヤマト2199については非常に楽しまさせていただきました。先週の横浜と新宿のヤマトークで出た話を書かせてください。

    宮武さんとのトークでは、ちょうどこの話がでておりました。どうもごく初期段階から宇宙戦艦というコンセプトに移った時に、西崎氏がビジュアル的に物語を支えられる人物を探すという時に、ヤマトワンダーのビジュアルに魅せられたスタジオぬえのメンバーが、小沢さとる氏を挙げたようです。それではと西崎氏が会いに行ったようですが、断られたようです。その時の理由としては小沢さんは「僕は女性を船に乗せられないから」だったようですが、ご紹介のページにあるように艦艇や潜水艦を別の人に書いていたことをかんがみると、それも理由の一つなのかなと思います(ここはAizengaldの考えです)。その時にどうも私にもこういうアイディアがあるとギンガギンガギンガの下案を西崎氏に見せたようで、そうしたアイディアがヤマトに反映されている可能性はかなりあるようにも思えます。もっとも宮武さんは小沢さんに私淑しておりますので、一方からの見方には違いないとは思いますが…。

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  3. 断られた西崎氏は、それでは君の代わりになる人はいないのかと小沢さんに問い合わせたところ、松本さんが候補の一人に上がったとのことであり、そうしてヤマトは完成したとのことです。メカニック的には、ぬえ側の色が強く出ており、キャラクター面で、松本氏の色が出ているとのことです。

    私は皆さまと同じく松本氏の作劇術は、正直ダメだと思っているのですが、本作品のEDにもある「イスカンダルに浮かぶスターシア」を書いたことは、ヤマトという作品に大きな意義の与えたと思っております。この宇宙の女神(ヤマトのコンセプトを考えると観音菩薩なのかもしれませんが…)ともいえる一枚絵は、やはりアニメ史に残る偉大な絵であり、ヤマトの象徴だと思っています。もっともアニメ内のスターシアは女神を演じている女性という感じで、そこに滅び行く文明国の業まで背負わされている感じで、ちょっとEDの絵と違う感じですね。この女性を描くためには松本さんが必要であったと思うのですが、さらば以降の物語では、その亜種(テレサ、サーシア、ルダ女王)に置き換えられてしまったことで、松本氏の必要性はなくなってしまったように感じております。もっとも二番三番煎じなので、スターシアに感じたような感覚は無いですね。

    後半は、宮武さんの言ったことといいうより、私の思いを書いてしまいましたが、こんなことを感じながら彼の話を聞いておりました。なお私が感じた、「女神を演じる女性としてのスターシア」という特徴は、2199ではより顕著になっており、この感じ方は私だけではないのだなと思い安堵いたしました。

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