9月末の最終話までおおいに盛り上がることと思う。
「宇宙戦艦ヤマト2199」について、ネット上ではたくさんのファンが楽しく語り合っている。色々なことが盛り込まれているので、語るのが楽しい作品である。
その一方で、「2199」なんぞ失敗だ、まったくダメだ、リメイクしなおせという声をあげる人がいる。
旧作と比べるとまるでダメなので、もう一度リメイクしろ、という。
ラウド・マイノリティとでもいうべき、懐古厨の声だ。
「旧作の音源を使って『宇宙戦艦ヤマト』をリメイクしたらどうか」
こんなことを書いたひとがいる。
「旧作『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズの脚本・絵コンテに忠実に、いちばん安定した作画をベースにして新しい作画でリメイクしたらいいんじゃないか。
音の変更はしない。旧作の音源を使う。
したがって、ストーリーは一切変更しない」
ふむ。
では、「宇宙戦艦ヤマト2199」が生まれることなく、旧作を忠実にリメイクした「宇宙戦艦ヤマト」が作られていたとしたら、どうなっていたか考えてみる。
旧作ベースの作画
『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズの中で安定した作画というと、岡迫宣弘(おかさこのぶひろ)のタッチが選ばれるだろうか。岡迫宣弘は、シリーズを通じてのチーフ作画監督を担当する予定だったが、病気に倒れて、数本の作監を務めるにとどまった人である。
森雪やスターシャの作画が松本零士のタッチをうまく消化していてなかなか良かった。
作画スタッフが、松本零士のタッチをどう解釈/消化するかが課題とも言えたのが、第1TVシリーズだった。
その解釈の幅が甚だしい。
たとえば、白戸武の作画はほかの作監とはかけ離れている。とくに岡迫宣弘のタッチとの乖離がひどい。
あまりにクセが強すぎて、好きになれなかった。
第1TVシリーズは、(よく言えば)作画のバラエティが豊かである。宇宙戦艦ヤマト TV BD-BOX スタンダード版 [Blu-ray]
岡迫宣弘のタッチで統一できるならば、画のハードルはクリアできるかもしれない。
ただし、アピールできるのは、オールド・ファンのみだろう。あ、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の論功行賞で湖川友謙が作画監督をする可能性もあるかもしれないな。絵はうまいけれども、「宇宙戦艦ヤマト復活篇」の、魂の入っていないような無味乾燥なキャラクターを思い返すと、しんどい話ではある。
個人的には、湖川友謙は「終わった」人と考えている。
岡迫宣弘や湖川友謙のタッチが、今のアニメを楽しんでいるファン層に受け入れられるかは疑問だ。
「鉄人28号」「真マジンガー衝撃Z編」といったリメイク作品を思い出す。個人的にはどちらも気に入っている作品だ。原作者の絵柄に近いキャラクターデザインを採用していた。
しかしながら、さして話題にはならないで終わった。
アニメの主流が萌系/セカイ系にシフトする中で、ファンに注目されなかった。で、鉄人28号ファンやマジンガーZのファンは市場を形成できなかった。
(余談ながら、いずれも今川泰宏が演出した作品。今川泰宏は「ジャイアント・ロボ〜地球が静止する日〜」というリメイクものの大傑作を手がけている)
昔のまんまの音でイケるか?
ちょっとマジメに考える。
仮に作画のクオリティがアップデートされたとしても、問題がある。
まずは、音源だ。昔の音源、BGMはそのままは使えない。音源はしっかりした形で残っているのかいないのか。
オリジナルのマスター音源がない場合、ソフトから音源を取って、デジタル処理でキレイにしたりする必要がある。それは、けっこうな手間だと思う。
故人となった声優さんの音源使用許諾も案外厄介な問題かもしれない。ここで時間とコストがかかる可能性は否定できない。
そうなると、藤川桂介や山本瑛一のシナリオの瑕疵も、演出のミスもほぼそのまんまということになる。
「デスラー機雷」に突っ込んでいって、機雷を避けるために艦を傾けるたり人力で排除するとか、七色星団の決戦で、ドメル艦に自爆されて、航行不能に思えるほど大破したのに、いつの間にか直っていたり、到着するまでイスカンダルとガミラスが二重惑星だと気づかないとか、ガミラスの海が濃硫酸と気づかないとか、ガミラスにバカスカ砲撃して壊滅させた挙句、古代が「我々は戦うべきではなかった。愛し合うべきだった」とのセリフを吐くとか、たとえ画は綺麗になったとしても、目を覆いたくなる箇所はそのまんまっていうのはどうなのか。失笑モノだろう。
どうですか。
ドメルがヤマト艦底に貼り付いて自爆したあとのヤマトの姿。
航行しているのが不思議なほどの壊れっぷり。
「デウスエクスマキナ」に支配されたヤマト世界にあって、これは当たり前なのだけれども。
さて。
「約40年前の音源に、新しく描いた昔のタッチの画をはめ込む」というリメイクはファンに受け入れられるだろうか。
仮に、ビジネスとして成立させるために、単価を思い切り上げて、26話TVシリーズのBlu-ray Box1セットを10万円で販売する。2万セット売れたとしたら、これはいい商売にはなる。
とはいえ、今、「宇宙戦艦ヤマト2199」におカネを使っているオールド・ファンみたいに財布のヒモを緩めてくれるかどうかは疑問だ。
『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズ原理主義にして思い出補正上等の懐古厨がどれほどの市場を作れるのかも不明だ。
「宇宙戦艦ヤマト復活篇」が好きなあまり、DVD・Blu-rayを何枚も買ったというファンもいるようなので、旧作大好きな人がひとりで10セット買うとか、そういう人も出るかもしれない。
まずは、音源だ。昔の音源、BGMはそのままは使えない。音源はしっかりした形で残っているのかいないのか。
オリジナルのマスター音源がない場合、ソフトから音源を取って、デジタル処理でキレイにしたりする必要がある。それは、けっこうな手間だと思う。
故人となった声優さんの音源使用許諾も案外厄介な問題かもしれない。ここで時間とコストがかかる可能性は否定できない。
あのシナリオのままなのか?
旧作音源をキレイにしたものを使う。その問題がクリアできたとする。そうなると、藤川桂介や山本瑛一のシナリオの瑕疵も、演出のミスもほぼそのまんまということになる。
「デスラー機雷」に突っ込んでいって、機雷を避けるために艦を傾けるたり人力で排除するとか、七色星団の決戦で、ドメル艦に自爆されて、航行不能に思えるほど大破したのに、いつの間にか直っていたり、到着するまでイスカンダルとガミラスが二重惑星だと気づかないとか、ガミラスの海が濃硫酸と気づかないとか、ガミラスにバカスカ砲撃して壊滅させた挙句、古代が「我々は戦うべきではなかった。愛し合うべきだった」とのセリフを吐くとか、たとえ画は綺麗になったとしても、目を覆いたくなる箇所はそのまんまっていうのはどうなのか。失笑モノだろう。
どうですか。
ドメルがヤマト艦底に貼り付いて自爆したあとのヤマトの姿。
航行しているのが不思議なほどの壊れっぷり。
「デウスエクスマキナ」に支配されたヤマト世界にあって、これは当たり前なのだけれども。
ビジネスとして成立するか?
さて。
「約40年前の音源に、新しく描いた昔のタッチの画をはめ込む」というリメイクはファンに受け入れられるだろうか。
仮に、ビジネスとして成立させるために、単価を思い切り上げて、26話TVシリーズのBlu-ray Box1セットを10万円で販売する。2万セット売れたとしたら、これはいい商売にはなる。
とはいえ、今、「宇宙戦艦ヤマト2199」におカネを使っているオールド・ファンみたいに財布のヒモを緩めてくれるかどうかは疑問だ。
『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズ原理主義にして思い出補正上等の懐古厨がどれほどの市場を作れるのかも不明だ。
「宇宙戦艦ヤマト復活篇」が好きなあまり、DVD・Blu-rayを何枚も買ったというファンもいるようなので、旧作大好きな人がひとりで10セット買うとか、そういう人も出るかもしれない。
楽しく読ませていただきました。
返信削除私も概ねそのような意見を感じております。
あの時代であったから評価されたものであって、いかに当時優れていようと現代にそのまま通用するものではないでしょう。
主題歌「宇宙戦艦ヤマト」は音楽という時代を超えて評価される分野ですので別でしょうが、映像作品は時代によって評価がまるでちがいますからね。
旧作があっての今作であることは当たり前ですが、今の時代、
絵をキレイにしてあのままのストーリー展開、戦闘描写、人物像をやったとしたら失笑モノ以外の何物でもなかったと思います。
白黒映画のリメイクを行って理由なくまた白黒で撮る、という愚行にも似ています。
選択肢がなかった時代と現代を同一視している時点でその人に作品を見る目はないでしょう。
横レスさせて頂きます
削除・・・。見る目がないと言われても、完全旧作ベースで作られたヤマトなら、私は見たいです。その際はもちろんキャラクターデザインは増永計介さんで。
ただ、音響を昔のものからすべて引っ張ってくる、なんてのは私も愚行だと思います。今はもう富山敬さんも納谷悟朗さんも青野武さんもいらっしゃらないのだから、声だけは似ている人を探し、BGMも録り直して(つまり2199でやったのと変わらない感じで)、メカニックザデインには出渕裕さんや板橋克己さんを招聘すれば、おそらく私の見たいヤマトがそこに生まれると思います。無論、それが現代の人たちに受けるかどうかは二の次で『私が見たいもの』という一点で考えた場合、なのですけれども。
あ、でもぶっちゃけるなら「2199」と「旧作」を足して二で割ると丁度いいと思います。2199には熱さが足りないように感じますし、旧作には整合性が足りないと思うので。…全部で39話くらいかけられればいいと思います。
ま、夢想の域を出ない戯言なのですが。
…昔の出渕監督も似たような事を思って思い続けたらそれを実現できる日が来たんでしょうね、きっと。
上に書いたものですが、「見る目がない」というのは些か攻撃的でしたね。申し訳ない。
削除「2199」は「初代」の”焼き直し”ではなく”リメイク”だというのが一番の注意点であると思うのです。焼き直しは全くそのままのモノを「キレイな状態に直す」事ですが、リメイクは「作り直す」ことです。ですから「別物だ」という意見は正しいのだと思います。1970年代の人間相手と2010年代の人間相手では全くそのままとは行きません。生きる時代が違えば細かな部分は大きく変わります。
上でモノクロ映画を例にあげましたが、モノクロ映画の名監督たちはモノクロがいいからモノクロで撮っていたのではなく、カラーという選択肢が技術的になかったからそちらで撮っていたのです。無声映画はそれがよいのでなく、それしかできないからそれで作ったのです。映像の途中汚い黒ずみが画面に映るのは狙ってではなく、技術が足りずフイルムが痛んだからです。その中でも名作は生まれ、鑑賞されています。
そんな往年の名作をリメイクする際に「モノクロでなくては、無声でなくては、汚いフイルムでなければこの作品ではない!」というような人はその作品を中身で評価しているのではなく、雰囲気で評価しているのではないでしょうか?
童話などもそうですが時代によって話が変わってきます。有名どころでは「シンデレラ」などは原本では意地悪な姉をシンデレラが殺してしまっています。
「浦島太郎」など亀を助けたのではなく、原本では亀を半殺しにして
「死にたくなければ財宝を寄こせ」と脅しています。
こういった話の変化は時代ごとの人の価値観や社会性に大きく左右されます。ヤマトも同じく70年代のままの話ではとても現代の感性では受け入れられないので変更されている部分が多々あります。それがリメイクなのです。
骨組みや形を元として別の人が新たな感性で作り直したのがリメイクであって、そのままの形で残るはずがありません。おまけに持っている制作技術も違いますし、細かく変わっているのは当たり前です。
そのことに気付かず「2199はヤマトではない!」と怒鳴っている人に
「当たり前だろ」と言い返してやりたい。リメイク作品を過去のオリジナルと比べて見る場合はその時代と今の時代の差を考えて見れる人でなければいけないな、ということが言いたかったのです。