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2016/12/22

生きていくことと死ぬことと。黒沢清『トウキョウソナタ』

やっとのことでショッピングモールの清掃の仕事を得た父親は、スーツを着て通勤する。
ある日、床に貼り付いているガムを剥がしている。
そこに妻がやってくる。
父親は、長く勤めていた会社の職を失ったことも、清掃業に就いたことも秘密にしていたのだ。
父親は、その場から逃走する。




『トウキョウソナタ』はトウキョウに暮らすある家族がいちどバラバラになってしまったのち、再生する様子を描いたホームドラマだ。

でも、監督は黒沢清だ。

なので、ホームドラマではあっても、黒沢清流の不穏さがどこか漂う。


黒沢清の映画を観るときは、緊張感を持ちながら画面に向き合うことになる。画面に漂う不穏さ、ある種の禍々しさに不安を抱きながら、観る。
必ず、予想できないような画があったり仕掛けが隠されている。
今回もその例外ではなかった。

線路沿いの一戸建てで4人家族が暮らしている。
表向きは「平凡な」4人家族だ。
映画が始まって早々、父親は「総務部門の合理化」を受けて健康器具メーカーをクビになる。
この場面ではタニタが撮影に協力しており、社名も出てくる。
父親は家族に対してはクビになったことをひた隠しにする。
父親は、虚勢を張って家では権威をふりかざして、父親らしく振る舞おうとする。
しかし、家庭はおたがいの関係が危うくなっている。家族団らんは温もりを失っていて、父親の態度は滑稽に見える。

父親は(よりどころであった)会社員という立場をあっけなく失ってしまう。
普通、失業は懲戒的な失業は別として、即日解雇はない。そこは、映画的な省略がされており、膨らんだ紙袋を抱えて歩く父親は滑稽だ。
ハローワークで職を探したり、炊出しの列に並んでは、おいしくもない食事で腹を満たしたりして時間を過ごすばかりだ。
面接に行って得意なことは何かと質問され、「カラオケ」と言ったら若い面接係にペンをマイクに見立てて歌を歌ってみろと言われて往生する。

父親は炊出し場所で友人の黒須と会う。黒須も失業中である。
黒須のケータイは10分ごとに着信音が鳴る設定にしてあって、音が鳴るとかれは多忙さを周囲にいる人にアピールする。いや、「忙しい自分」を信じようとして振る舞っているのだ。
黒須の家に食事に招かれると、まったく盛り上がらず、会話もよそよそしく、寒い。
黒須は「失業がバレないように」との思いから友人を招いた。
しかし、食卓は沈んだ雰囲気で、ぎこちない。
トイレに立つと黒須の娘が「たいへんですね」と声をかけてきた。

ある日、父親が黒須の家に行くと、家のものを片付けている女性から、黒須と妻は無理心中したのだと聞かされる。
唐突に知る友人の死。

父親は孤独と閉塞感に覆われていく。
ホラー映画の名手として知られる黒沢清は、この映画では「リアルな恐怖」を描く。

職を失った父親や失業者たちを描くくだりは、会社と、会社員という立場を失って不安に苛まれる父親の心象風景を反映しているかのようだ。
映画の世界は、現実の不況がもたらした風景をちょっとだけ大げさに描いている。
炊き出し場所は、トウキョウ湾にほど近くて、ちょっと荒涼とした気配がある。無為に待っている人たちの中には、数多くネクタイ姿の中高年の姿がある。
公共職業安定所で相談を待つ人びとが、灯りの落ちた階段に並ぶ。なんか、死者の群れを思わせるようでもある。
順番はいつ来るともしれない。
で、順番が来たら、あっという間に相談はおしまい。
公共職業安定所の場面は、日本で「会社員」という立場を失くした人たちのことを、皮肉を込めて描いている。
この映画の「失業」の描写は我が身に照らし合わせてつらい気持ちを覚えたりもした。

家族のこころは離れ離れで、たがいが秘密を抱いている。

バイトに明け暮れていた長男は急に「米軍に入る」と言いだし、次男は学校の給食費を月謝に充てて、こっそりピアノ教室に通い始めだした。
母親は「どこか遠くに行ってしまいたい」という欲望を密かに抱いている。
長男は出国した。
ピアノ教室通いがバレた次男は激高した父親によって階段から突き落とされた。
次男はのちに家出、警察に捕まって留置場に入れられる。
母親は家に侵入した強盗に拉致されて連れ回され、海辺に行く。
父親は車にひき逃げされてしまう。

しかし、家族は再構築されるのである。
つらいこと、ひどい出来事はたくさんあったけど、生きている。
だから黙って食事をする。
明日も日は続くのだ。こっちが呼吸を止めてしまわない限り。
何があったって明日は来るのだ。

ピアノ発表会で、ピアノを弾く次男、それを見て涙を浮かべる母親、父親。
回復に向かって、静かに終わる。

見終わって、余韻に長く浸った。

この映画は観る人によって、観ているときの精神状態によっても印象が違ってくる。
黒沢清の映画的詐術のなんと魅力的なことか。


 

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