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2015/08/20

『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は宇宙冒険映画だ!

驚いたことに、『宇宙戦艦ヤマト』は最初のテレビ放映から40年以上も経つのに、まだ忘れ去られていない。
それどころか、新作が作られて商業的に大成功するという、今でもとても大きな<潜在市場>を持ったアニメであることがわかった。
新しいTVシリーズが成功し、新作の映画づくりにつながった。

付け加えれば、アメリカで実写リメイクというニュースも伝わってきた。
これは静観しておいたほうがいい。
ハリウッド映画の企画なるものは潰れることも往々にしてあるからだ。
そもそも、アメリカでのタイトル『STAR BLAZERS』って人気があるんだろうか、と思う。













40年の時間に刻まれているのは輝かしい歴史だけではない。
ヤマトの歴史とは、大半は金儲けに走り、変質と陳腐化へと堕していく昏い歴史だ。
「さらば宇宙戦艦ヤマト」から「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に到る作品群は、デウス・エクス・マキナに魅入られた作品群である。
最初のTVシリーズにあった魅力を受け継がない作品群だった。

ヤマトの歴史には、さらに醜聞の数々も書き加えられているのは周知のとおりである。

忘れ去られ、忌避されていたはずのヤマトは、『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』、続く実写版『SpaceBattleShip ヤマト』のヒットが休眠していたかつてのファンの目を覚まさせることになった。
それは『宇宙戦艦ヤマト2199』の大ヒットにつながった。
『宇宙戦艦ヤマト2199』はリブート作品である。
旧作品を書き換えるのだから「昔の作品をきれいに模倣しました」「オリジナル作品そのまま再現」では意味がない。オリジナルの持つ瑕疵もそのまま再現することになるし、知っているストーリーが繰り返されるだけだから面白いはずもない。時代の変化を踏まえたアップデートは当然である。

一方、オリジナル作品への敬意を持ち、オリジナル作品にある美点は継承すべきだ。
『宇宙戦艦ヤマト2199』がうれしかったのは、『宇宙戦艦ヤマト』最初のTVシリーズの持つ美点をしっかり受け継ぎ、現在に見合う形でもう一度見せてくれたことである。


『宇宙戦艦ヤマト』最初のTVシリーズの持つ美点のひとつに、<宇宙探検もの>映画であることを挙げたい。
新作劇場映画として制作された『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』にもその美点は備わっていて驚いた。
古典的な<宇宙探検もの>の映画だった。
1974年の『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズにあって、『さらば宇宙戦艦ヤマト』以降、『ヤマトよ永遠に』を例外にして『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』に到るまでの作品にはないもの。もしくは、喪われてしまったものがある。
それは、「未知の宇宙を探検する」「未知の生命体に出会う」「未知の宇宙文明を発見する」といった<宇宙探検もの>の古典的SFとしての香りだ。
『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズには、松本零士、豊田有恒というSFのプロパーが参加している。彼らが楽しんできたと思われる、1930年代から50年代のアメリカSF小説の<スペースオペラ>の風味がある。
第1TVシリーズでは、のちに顕著になる西崎義展プロデューサーの独断専行は露骨ではなく、他のスタッフの意向もじゅうぶんに反映していたのではないだろうか。

『宇宙戦艦ヤマト』の魅力のひとつは、古典SFの風味があることだ。
古典の中でも宇宙を舞台にしてヒーローが活躍する<スペースオペラ>の風味だ。

1970年代の半ば以降、映像の世界では<スペースオペラ>への回帰が起こった。

日本では、『宇宙戦艦ヤマト』が作られた。

アメリカではジョージ・ルーカスが『STAR WARS』を作った。
あと、ポルノ映画ながら特撮・ストップモーションアニメを駆使した『フレッシュ・ゴードン』という映画が作られた。
ついでに『STAR WARS』の日本公開がアメリカでの公開から遅れること1年以上という時差がをついて東宝が『惑星大戦争』、東映が『宇宙からのメッセージ』という映画が作られた。珍味が好きな人には薦めたい。が、日本特撮界の絶望的なまでの<取り残された感じ>に悶絶したくなる。

『STAR WARS』は偉大である。
小説ではとっくの昔に忘れ去られてしまった感があった<スペースオペラ>に、全く新しい生命を吹き込んだのだ。
『宇宙戦艦ヤマト』は『STAR WARS』に先立つこと3年の1974年に放映、しかしブームが起こったのは『STAR WARS』の全米公開と同じ年の1977年だった。TVシリーズを再編集した映画版がじわじわとヒットした。
両方ともハードな考証を基にしたハードSFではなく、古色蒼然というべき<スペースオペラ>を、先端の映像技術で描いてみせたのがすばらしい。
『STAR WARS』以前、<スペースオペラ>は軽視され、ときに蔑まれるジャンルだった。しかし、映像メディアで認知されて、小説も適切な評価をされるに到る。



『宇宙戦艦ヤマト』第1TVシリーズは、<未知なる宇宙を冒険する物語>である。

宇宙戦艦ヤマトは、危機に陥った地球と人類を救済するための旅と戦いの物語であり、ヤマトと乗組員は14万8千光年、往復29万6千光年の遥かな旅をする。
まさしく<スペースオペラ>である。

おもに描かれたのは、ガミラスとの戦いであり、苦難の航海と激しい戦闘の数々だ。
戦闘はときに激しすぎて、ヤマトは何度も第3艦橋を失うも、翌週にはなにごともなく復活。七色星団のドメル旗艦が艦底に張り付いて自爆したために大破までしてる。




「ヤマト」というとこういう描写ばかりと思う人も多いだろうがそうではない。これは、極端な描写ゆえに印象強く残ってるのである。
シリーズを通して見ると、沖田十三が執った戦法は極力むだな戦闘は避けるというものだった。波動砲はここぞという時にしか使っていない。
知恵で機転で危機を切り抜けるという場面が多かった。
(小惑星帯で、小惑星にぶつかるのを避けるために、艦体を傾けるという描写には驚いたけれど)

しかし、それだけではない。
ガミラスとの闘い以外の部分にも、ヤマトの魅力はあった。
宇宙の驚異に臨むヤマトと、クルーの姿を描いた場面やエピソードだ。
木星の浮遊大陸、改造されて海を持った冥王星、太陽が惑星の周りを周回しているというバラン星など、宇宙の驚異を描いたことに強く惹かれた。
また、捕虜にしたガミラス人と古代進の相克と理解を描いたエピソードも印象的だった。

『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、宇宙冒険譚としてのヤマトである。
<ガミラスとの闘い>以外のヤマトを主軸にするというのは、さすがだ。そして、<スペースオペラ>をやってるのもすばらしい。
謎の惑星、そこで起こる不可思議な出来事、失われてしまった先史超文明、さまよえる民、宇宙を征く蛮族。
こういうフレーズにピンとくる人は、見るべきだ。







『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、ガミラス側の人物により多くの時間、カメラを向けて撮った作品である。
七色星団の決戦で敗走したバーガーが、主役といっても過言ではない活躍をする。
登場する「敵」は、ガトランティスである。
ここに登場するガトランティスは「彗星都市帝国」は保有していない。
『宇宙戦艦ヤマト2199』の世界は、『さらば宇宙戦艦ヤマト』に接続しないようだ。
当たり前である。
地球時間でわずか1年間で赤茶けて海が干上がった地球がきれいに復元したばかりか、人々は繁栄を謳歌し、ヤマトを忘れてしまうというようなとてもいい加減で知的能力が劣化したような世界につながっていいはずがない。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』以降のヤマトが何度も繰り返した、「登場人物の尊い犠牲」で物語が進むというのも、もちろん不要だ。

『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、古き良き宇宙冒険譚を再現して見せてくれた。
もう一度書く。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』以降、繰り返される重要人物の自己犠牲による愁嘆場でもってお話が進むという方向に行かなくて実に良かった。

この映画の陰の主役は、映画の冒頭と最後に登場する土方竜だ。
土方は、冒頭でも最後でも、空間騎兵隊の生き残り、斎藤一に対して言葉を発した。
土方が語る言葉は松本零士とかれの作品に対するオマージュと敬意の表明であり、長いながいヤマトの旅路に思いを馳せるものだ。

この映画を見て、あるTVシリーズのナレーションを思い出した。
それは最後の開拓地である。そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。
これは人類最初の試みとして、5年間の調査飛行に飛び立った宇宙船USSエンタープライズ号の驚異に満ちた物語である..
これは『宇宙大作戦』(Star Trek)のオープニングで語られるナレーションである。
映画『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』の冒頭に、このナレーションをつけてもしっくりくるんじゃないだろうか。
そんな気がした。

その昔、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』を紹介する記事などでは「『宇宙戦艦ヤマト』は、日本の『宇宙大作戦』である」などと書いてあった。
おそらくは<宇宙を冒険する>という共通項から詳しく調べることもなく書いたものだろう。
しかし、日本の『宇宙大作戦』というのは、ある意味的を射ている気がする。

『宇宙大作戦』も、J.J.エイブラムスが『宇宙大作戦』をリブートした。
『Star Trek』は数々のシリーズが作られたが、J.J.エイブラムスは最初のTVシリーズの再構築に挑んだ。



J.Jエイブラムスの『Star Trek イントゥ・ダークネス』と、『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』は、どことなく共鳴している気がする。
『Star Trek』からの2作目で作品世界を自分のものにして、新しい物語を描いている。見慣れた人物たちの活躍は続編の楽しさのひとつだ。
そういえば出渕裕もJ.Jエイブラムスも旧作の熱狂的なファンたちから悪罵の言葉を投げつけられている点も共通していることに気づいた。
<リブートもの>には、頭の硬くなったファンが不満を表明する。これもお馴染みの景色である。

そして今年、ルーカスフィルムからディズニーに制作が移って、『STAR WARS エピソード7』公開だ。
『ヤマト2199』に続く、再起動だ。そして、監督はJ.Jエイブラムスである。




3 件のコメント:

  1. 旧作を見たことのある大学生ですが、いつも思ってしまいます。

    いい歳した大人が、旧作を批判して、2199を賛美している姿を見ると、ちょっと気持ち悪いなと思ってしまいます。

     (私の勝手な直観ですすみません)

    気分を害すような失礼な態度をお許し下さい・・・若い2199駄作派の意見も聞いて欲しくて投稿させていただきました。

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    1. そりゃあ、人によって好みは違いますからね。
      『2199』批判派・否定派がいるのは承知しています。
      あと、私の場合、コンテクストと紐付いているんです。
      旧作品がスキャンダルをまといつつ、無残に劣化していくのを見ていますからね。

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  2. 実際に当時、ヤマトのファンをやっていて、大学生の頃にヤマト2以降の出来の悪さから小学生にすら馬鹿にされたという暗い歴史があるんですよ。
    私にとって価値があったのは結局はドメルが出てくる初代ヤマトだけだったのです。

    初代ヤマトは敵も味方も知恵の限りを尽くして戦ってました。
    そしてそれをきちんと受け継いだのは、デタラメな西崎中心のプロデュースのヤマト2以降ではなく、2199の方だったと感じています。

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