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2013/04/08

「新耳袋」になれなかった実話怪談本

実話怪談本が好きなので、新刊でも古本でも目についたものを買うようにしている。たまに脱力してしまう珍本が手に入ることがあってそれがまた楽しい。
怪談の本なのにピントがずれてヘンなことになっていたり、あと書きに爆弾を仕掛けられている本があったりする。
それが今回紹介したい本である。

いま、おれの手元に大迫純一著「あやかし通信『怪』」という文庫本がある。
2002年に角川春樹事務所のハルキホラー文庫として刊行されたものだ。親本は「あやかし通信 九夜でおくる怖い話」(1991年・実業之日本社)。古本がプレミア価格で取引されて人気になっていたいたことから、編集者のオファーがあって文庫化されたという。
大迫は「あやかし通信『怪』」のあと書きのなかで、この親本は「伝説化」していたと自慢げに書いている。ネットオークションで高値で落札された瞬間を目撃したとも書いてある。おれは、両方とも買った。ブックオフで100円で手に入れた。親本のほうは初版で帯も付いていてじつにきれいな本だ。運が良かったんだな、おれ。
「あやかし通信『怪』」で紹介されている実話怪談は、どこかで聴いた話が多い。これがオリジナルかどうかは知らないが、よく知られている話が満載だ。
しかも、怖くはない。
でも、そんなことは瑣末なことにすぎない。
この本のおもしろさというか、この本が持つ妙味は、怪談以外の部分にあるのだ。




まず、文体、である。
そう、文体だ。
影響を受けているらしいのだ。
夢枕獏の文体にもろに影響を受けているらしいのだ。
もったいぶった模倣の文体である。
それが、じつに興味深いのである。

得体の知れない奇怪な存在の話を、 誰しもどこかで聞いたことがあるはずだ。
深夜、枕元から覗き込む青白い顔。
写真に写った、誰のものとも知れない手。
背後から呼びかける、謎の声・・・・・。
中には、自分の体験談として語られる物語もあろう。
友達の友達がね、という前置きとともに語られる物語もあろう。
どこの誰の体験とも判らない怪異譚もあろう。
語り終えられた後の一瞬の静寂と、ぞくりと胃の底に溜まるような寒気の記憶は、あなたにもあるはずだ。
つまり、ここに集められた物語は、全てそういった話なのである。
それらが、全て『本当にあったこと』なのかどうかは、もちろん判らない。
そう、まさに『怪談』なのである。
ここで私は、こんな凄げぇ話があるぞ、こんな面白ぇ話を聞いたぞ、と声をひそめて読者諸君に耳打ちしようとしているのである。
これは、そういう本なのである。

それでは始めよう。
怪談を。                 (「口上」より引用)


第一夜から第九夜に章立てされており、各章に数話ずつ合計して46の怪談が書かれている。話のまえの枕、話と話のつなぎに、こんな調子の口上のようなものが入る。
あと、怪談じたいもこの文体で書かれている。自分の書いた文章にうっとりするような気配が感じられるのがイイ感じだ。

つぎに、「自慢話」が随所に盛り込まれてあるのが趣深い。
著者自身が霊体験や怪異な体験が豊富なことを自慢げに書いている。

私が最初に幽霊を見たのは、小学生のころであった。
背広を着た男性の頭部が、煙のような白いモヤで出来ていたのである。煙草などの煙ではない証拠に、それは明確な輪郭を持ってすらいた。人間の頭部の、だ。
それ以後、私は何度か幽霊らしき『もの』を目撃したが、思えばどれにも顔がない。
顔を見たことが、ない。
ずっと不思議に思っていたが、何年か前、ある女性にこう言われた。
「あなたは本質的に、妖怪退治の人だからね」
なるほど。
そういうことであったか。
妙に納得した。
以後、今日にいたるまで、まだ顔は見たことがない。
ね、なかなかなものでしょ。

「妖怪退治の人」がなぜ幽霊の顔を見られないのか、その理由が明示されていなくて著者が一人合点している点が素晴らしいと思う。
このような「自分は特別な種類の人間なので、特別な経験をする」という自慢がこの本には頻出する。
大迫純一は大阪芸術大学中退である。まわりには「見える人」がたくさんいたらしい。
しかも、かれが退学したのを待っていたかのように、キャンパスでは次々と怪異が起きたのだという。
美術系大学出身者って、なぜか「見える人」が多くて、それを自慢にしていた人を何人も知っている。あと、いわゆる「不思議ちゃん」タイプも霊のことや怪異を日常的なこととして語る。ある種の人にとって、霊的な体験は自己アピールに欠かせないものらしい。

さらに「あやかし通信『怪』」は、怪談を離れたところに面白いことが書いてある。

大迫純一は小説家のほかにもいくつか肩書きがあった。
まずデビューはマンガ家としてのキャリア。他に変身ヒーロー番組の怪人デザイナー、模型デザイナー、模型の箱絵画家、ゲームのシナリオライター、ゲームのメカデザイナー、そしてアクションタレント。「多才とも器用貧乏とも言えようか」と自慢をされておられる。
アクションタレントとは、デパートの屋上などで行われるヒーローショーで着ぐるみを着ているということである。
この本では、アクションタレントとしての演技論的な話とか、デパートの屋上ショーでの演技中に遭遇した怪異とか、ほかの怪談本では絶対に読めないことが書いてある。
「芝居の本質は神事」と、着ぐるみを来ての演技を語ったりしている。

あと、ベストセラー怪談本との因縁にまつわる記述も興味深い。

この本の「第四夜 こちらを向く顔のこと」というエピソードは木原浩勝・中山市朗「新耳袋―現代百物語〈第一夜〉」の第五十四話「8ミリ・フィルムの中の子供」で語られている怪談と同じ怪異について書かれた話だ。
このお話は、大阪芸大の学生が撮った8ミリ映画に白いゴミのようなものが映りこんだ。
映写機で映すとおかっぱ頭の女の子の横顔だった。映写するごとに、少女の顔は正面を向けるようになった。また、撮影に関わった人間は怪我したり事故に遭ったりした。
あと書きを読むと、大学の先輩であり、かつては交流があった木原浩勝と中山市朗に対する恨み言めいたことをぼかしつつ書いている。
じつは、大迫純一も「新耳袋」の著者になるはずだったが、「退いて」しまったのだという。その真実は木原浩勝と中山市朗が告白すべきだ、と書いている。
ちなみに扶桑社から最初に出た「新耳袋」には大迫純一への謝辞が書いてある。

著者の自慢は他者に伝わることもなく、「あやかし通信『怪』」は「怪談新耳袋」や「『超』怖い話」のようなシリーズ化は果たせないまま終わった。
シリーズ化されたらおもしろかったのに、と思わないでもない。「怪談」以外の部分で、こちらの予想もつかない転がり方をして楽しませてくれたかもしれない。

しかし、大迫純一が新しい怪談本を書く機会は永遠に失われてしまった。
2010年、がんにより亡くなったのである。

あやかし通信『怪』 (ハルキ・ホラー文庫)

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