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2013/04/02

「ヤマトよ永遠に」と金田伊功

「宇宙戦艦ヤマト」の劇場映画は、ぜんぶ封切り時に見に行った。
 けれども、どの作品も満足しなかった。
 理由は質が低いからだ。

 「宇宙戦艦ヤマト」はTVシリーズを再編集した作品だ。
 暗闇と大きなスクリーンと大音響を通じてTVの追体験をしたという意味以上のものはない。TVアニメを映画館で見るのは質の低さがはっきりわかって辛いものだと思った。
 1974年頃に制作されたTVアニメ。作画監督のクセが強く出ていて、登場人物の顔がころころ変わる。セルの塗り間違い、色のミス、撮影時にセルのゴミが映り込んでいるだとか、そういう粗が目立った。
冷静になって考えれば、何年も前のテレビで無料で視聴できたテレビアニメを切り貼りして作った「映画」なのである。しかも、再放送もされていた。
そんな作品なのに火がついてヒット、新作劇場アニメ映画につながったのだから驚きである。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト」は、封切り前日に、渋谷パンテオンという劇場の前に並んだ。西崎義展が挨拶にきた。終電で駆けつけた学生が車にはねられたりもした。
しかし、正直な話、失望した。
冒頭の「わずか1年で復興したばかりか繁栄を謳歌する地球」で萎えた。
ラストの特攻シーンでがっかりした。
「彗星都市帝国」はヤマトの波動砲で崩壊したかに思えたが、中から超巨大戦艦が出現した。古代進はたったひとりで特攻することを決めるが、特攻まで延々と愁嘆場が続き、その間、超巨大戦艦は何もしないでヤマトが特攻してくることをおとなしく待っている。
特攻などという知恵を放棄した結末。「ヤマト」は困難を知恵で乗り越えてゆくものだと思っていたのに。
劇場映画ながらも作画が雑なカットがあったり、セルのゴミが映っていたりの粗が目立った。制作期間が短かったんだろう。
 「さらば宇宙戦艦ヤマト」は大ヒットしたので、続編を作ろうということになり、TVシリーズ「宇宙戦艦ヤマト2」ではヤマトの特攻エンディングを反故にした。次なる劇場映画につなげるためにテレフィーチャー(テレビ用映画)として「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」が作られた。
 「ヤマトよ永遠に」「宇宙戦艦ヤマト 完結編」は最初のTVシリーズの幻影を求めて映画館に足を運んだ。
 両方ともご都合主義が露骨になり、最初のTVシリーズが私たちに指し示した美点をことごとく潰すような作品だった。
 「イスカンダル人は1年で17歳に成長する」
 「沖田十三死亡は誤診。実は生きていた」

「ヤマトよ永遠に」のおはなしはこうだ。
暗黒星団帝国が地球を侵略、重核子爆弾を地表に軟着陸させる。
重核子爆弾が爆発すると、人類の脳細胞が破壊されるのだ。
宇宙戦艦ヤマトは、起爆装置のある40万光年先にある暗黒星団帝国めざして発進する。森雪は負傷したためにヤマトに搭乗できず、暗黒星団帝国の技術将校・アルフォンに助けられる。
一方、ヤマトにはスターシャと古代守の間に生まれたサーシャがわずか1年で17歳に成長した姿で古代進の前に現れる。
暗黒星団帝国はヤマトを偽の地球におびき寄せるという意味不明な作戦を取るがニセモノと見破られる。サーシャの自己犠牲で暗黒星団帝国は壊滅、地球では森雪が死が迫ったアルフォンから教えられて、重核子爆弾の起爆装置解体に成功する。
 
「ヤマトよ永遠に」は劇場で見たほか、後にレンタルビデオを借りて鑑賞した。
というのも、一時夢中になった金田伊功の仕事を追いかけるためである。
金田伊功の作画による戦闘シーンがあまりにも素晴らしくて、そのシーンを何回も繰り返して見た。





上記のムービーは、コスモゼロとコスモタイガーⅡが暗黒星団帝国の補給基地を攻撃するシーンである。
「ヤマトよ永遠に」、作品のデキはひどいのだけれども、このシーンを見るためだけに見る価値はある。
映像の快感に満ちたすばらしいシーンだ。このシーンは稀代にして不世出の天才アニメーターが手で描いたものである。そのアクロバティックな作画に興奮し、酔い痴れる。人の手で描かれた極上のSFX/VFXだと思う。
「好きなカットが1カットでもあったら、それはあなたにとっていい映画」という言葉が好きだ。真崎守さんのコトバだ。
この言葉に従うのなら、「ヤマトよ永遠に」は駄作だけど、私にとってはいい映画なのだと思う。


 

おまけ。ゲームに収められたムービー。
「ヤマトよ永遠に」を松本零士のテイストを濃くして再構築したもの。



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