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2013/03/21

そして誰もがアイドルを語る



奇っ怪な話だ。
日本では、少なくない数の人間が「アイドル」を語り、文章をものしている。
いい歳した連中が、自分の娘もしくはそれ以下だったとしてもおかしくない若い女の子について、熱を込めて話していたり書いたりしている場面に出くわす。

日本では、オトナが電車や地下鉄の中やカフェなどでマンガ雑誌を読んでいても誰も奇異には思わない。もちろん、マンガがそれだけの質を持っているからこそであるが。
同じように、今ではいい歳した男たちがアイドルについて語ることも当たり前の場面になってきた。

ラジオをつければ、不細工で半端なアイドルが自分のSEXスキャンダルの責任をとって坊主丸刈りにしたことの是非だとか、アイドルたちが過呼吸症候群になってるだとかグループの選挙のあり方はどうあるべきなのか、とかいう話をたっぷり時間を使ってしている。

メディアで名の売れた人間も好んでアイドルについて語る。

ジャーナリスト、作家、漫画家、ライター、社会学者、ラッパー、サラリーマン、ヤクザ、ニート、オタクなど、みんなアイドルに一家言を持ってる。

もちろん、あまたの無名な人たち、主におっさん連中もまたブログやソーシャルメディアで熱ぽくアイドルを語っている。
なぜ、こんなにも多くアイドルを語りたがる人が多いのだろう。
アイドルに名を借りて、<自分が好きなタイプ>について語っているのだろうか。アイドルに仮託して、おのれの性癖や願望を吐露しているのだろうか。

「アイドル」という職業。これは考えてみれば不思議なものだ。
一般的な認識としては、アイドルとは歌を歌ってテレビの歌番組やバラエティ番組に出てくる若い女の子というものだと思う。(このエントリーでは、女性アイドルに限定して書くことにする)
ところが、歌を歌わない「グラビアアイドル」「バラドル」などという人たちも、存在している。雑誌のグラビアやウェブサイト上の有料写真集やイメージビデオが活動の主体で、イベント活動をしたり、レースクイーンをしたり、少し名が売れた者はテレビに出たりする。
アイドル。

テレビや雑誌を席巻するメジャーから路上や動画配信で活動するマイナーまで多様なグラデーションがあるのが驚きだ。本当に細分化しているようだ。
小さなライブハウスでごく限られたひとを相手に歌い、CDをパソコンで1枚1枚焼いて手作りのパッケージで売る地下アイドルもしくはライブアイドル。
鉄道マニア向けのアイドル、歴史マニアのアイドル、ポッチャリしたアイドル、樽ドル。
細分化は果てない。

アイドル業界の現状は、傍観者というか、外側に身を置くものからすればよくわからないというのが本当のところ。
集団アイドルというのはどんなものだろうかと、検索したり映像を見たりしてみた。すると、アイドルやその候補生だというブサイクな若い女の子を数百人だか集め、入れ替わり立ち代り劇場で公演に出演させる。上位メンバーをテレビなどのメディアに露出させる。ブサイクな集団の上位なので、ブサイクの度合いが多少は減じているという程度だ。そのなかに何人か比較的まともな女のコを混ぜ込んではいる。そういう存在だ。
なんだか<大儲けして調子に乗っているバッタ屋>みたいでどうにもいただけない。
売り場に並ぶ商品を仔細に眺めると、おそろしく作りの悪い安物ばかりだし。

単純にいうと、まるっきりそそられない。
テレビや雑誌から遠く離れた今となっては、集団アイドルの跋扈は、ヘンなできごとであるという感慨を持つ。
私は眼福を味あわせてくれるかわいらしいアイドルが好きだ。気に入ったアイドルの写真など眺めながら、あらぬ妄想を楽しむのが好きだ。
いま、テレビも雑誌も集団アイドル構成員がほとんどを占拠して、ほかのかわいいアイドルが世間の目に触れる機会を著しく奪っている。さして美しくもないものを愛でる人が恐ろしい数存在していることは、嘆かわしいことだ。

さて、冒頭の写真の女の子。

どう思います?


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