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2012/05/12

日本映画は貧しさと縁が切れたか?

日本映画は貧乏くさかった。


日本映画にとって長年の宿痾は、「映像が貧乏くさい」ことだった。
予算がなく製作期間も長く取れず、必然的にしょぼい画づくりになる。たまに大作と銘打って公開される映画もほとんどハリボテだった。
例えば戦争モノ大作と宣伝された映画の「連合艦隊」登場シーンがはるか昔に撮られた映画の特撮シークエンスをそのまま持って来ていたりする。
別の映画では、スペクタクルな場面が始まるかと思いきや、ナレーションで説明されて終わったりした。
かつて映画興行は洋画が圧倒的に優勢だった。
日本映画は「画面がちゃちい」「スケールが小さい」「貧乏くさい」などという理由で一般的な映画ファンからは敬遠されていた。
その昔、特撮専門雑誌で「カネさえあれば日本だってちゃちくない映像は作れる!」などと特撮映画のスタッフが吠えるインタビュー記事を読んだ覚えがある。日本の特撮映画スタッフはカネもなくて条件もよくないなかでよくやっている。ハリウッドの特撮など、とにかくカネがあれば俺たちにだってできるのだ。カネよこせ。

時は過ぎて、カネはともかくVFX/CGというツールは手に入った。
VFX/CGが進歩を遂げ、しかも比較的安価に使えるようになったのか、近年の日本映画は「貧乏たらしい映像」の解消に余念がない。
これでもかとばかりにVFX/CGをどんどん使っている。
使ってはいる。けれども、映画の質はどうなのだろうか。
製作委員会方式で比較的潤沢な制作予算が付いたり、テレビ局主導で比較的予算が潤沢な映画が増え、VFX/CGも使える現在は、いい時代になったんだろうか?
東京を水没させたり、大きなフェリーを転覆させたり、六本木ヒルズを崩壊させたり、ばかでかい城を出したり、昔の街並を再現したり。再現した昔の東京でゴジラを大暴れさせえ見せたり。(この映画全体は見ていないけれども、この場面はちょっと胸が熱くなった)
























映像のクオリティ向上?
それよりも深刻な問題を抱える日本映画


VFX/CGを使った日本映画を何本か見たものの、おもしろくないものばかり。
上述のような映画を何本かレンタル屋で借りてきて見た。海難事故だとかクライマックスに中年オトコがギターで♪スーダララーと唄う映画とか橋が閉鎖できないだとか。
確かにスケール感のある、ハリウッド風のシーンも出てくるようになった。だからと言っておもしろい映画にはならない。
見ていて、ほかの問題のほうが気になってきた。
ひとつは、脚本のどうしようもない貧弱さ。
最近の<大作風>の日本映画に共通するのが、「どうしてこんな話の運び方になるのか」と首をかしげることだ。
理屈が合わない、なにかが省略されている、面白くなるような筋書きを捨てる。
脚本にもう少し金と時間をかけられないのだろうか。脚本をチェックする、スプリクトドクターを使って質を高める努力はしないのだろうか。
それとも、製作委員会方式だったりテレビ局主導で作ったりすると、脚本は軽視してもよいという不文律でもあるのか。
あるいは、脚本はまともに仕上がっていてもその通りには撮影できないという障壁でもあるのか。

ふたつめ。演技の質の低さが気になる。
陳腐な脚本は陳腐な演技しか産まないのだろうか。
しかも、日本は映画とドラマのキャスティングがほぼ重なる。テレビの豪華キャストと映画の豪華キャストは同じ。層のうすっぺらさ。
演技の訓練を受けたことがない者ばかりがスクリーンを占拠する。いや、演技の訓練のあるなしは問題ではなくって、演技とも呼べないような何かをしている人たちばかりなのをどう考えたらいいのか、ってことだ。
しかも、テレビというフレームでも映画というフレームでも同じような演技(のようなもの)をしている。
これは同時に演技者をきっちり指導できない演出の貧困を浮き彫りにする。

園子温監督の激烈な批判は的を射ていると言わざるを得ない。
「日本映画が健全だったのは70年代まで。80年代後半から危うくなって、90年代には終わった。海外作品のようにもっと現代化してほしいのに、まるでガラパゴス状態」
「特に良くないのは、役者が芝居をしていないこと。それにカット割りも知らない人が 大作を撮っている。腐った伝統を重んじる映画評論家には、『君たちの時代は終わったよ』と墓を掘ってあげたい」。「こうした状況を引っぺがすには、僕が映画を撮り続けるしかないし、作品が ヒットすることが大切。学生の皆さんには、自分たちの未来のためだと思って、ぜひ『恋の罪』を応援してほしい。とにかく先生の言うことは聞いちゃダメ」(2011年日本大学芸術学部芸術祭トークショー

しょせん、「大きなテレビ」である


この10年ほどの日本映画で興行収入を上げているのは、人気テレビドラマの映画化とアニメばかり。 思えば「踊る大捜査線」の爆発的なヒットが現状を招いたのかもしれない。
「テレビドラマで人気の下地を作る」→「映画化」→「テレビで執拗に宣伝を繰り返して劇場に足を運ばせる」こんなサイクルを作った。これはテレビドラマから大きなカネを生み出す方法論であって、映画ではないのかもしれない。映画ではなくて、テレビドラマを使った同時多発有料イベントを映画館でやっているということだろう。
観客はふだん劇場に足を運ばないテレビドラマの視聴者で、<大きな画面で予算を多めに使ったテレビドラマを見る>ためにお金を払っているのにすぎない。
おれみたいな、テレビドラマをほとんど見ない人間は、イベントにはほぼ反応できない。
今では各局このやり方を取っている。で、それなりの収益を上げているのが困ったことだと思う。
一方で、テレビドラマとは関係なく、テレビ局が企画して制作する映画も公開されるものの、日本テレビのジブリ映画以外はさしてヒットしない。いや、それどころかコケているものばかりだ。マンガやケータイ小説の映画化の神通力もすっかり落ちてしまった。
宣伝も上映館も限られるほかの映画も、地味に公開されて地味に公開を終える。

テレビドラマの映画化で客が呼べなくなったら、次はどうするのだろうか?


日本映画はやはり貧しい。


VFXとCG、映像面では日本映画を大きく進歩させたとは思う。(正しく言えば、あらゆる国の映画をだけど)
だけど、映像は映画を構成する要素のひとつでしかない。

問題は、日本映画のシステムだ。

日本には面白い映画をつくるシステムがない、もしくはシステムがうまく機能していない。
上述のように、企画が硬直化し、演出家も演技者もスタッフも育ってはいない。
人材を育てる仕組みがうまく行っていない。
例えば、時代劇だ。
CGで昔の街並みを再現できたとしても、  古い時代の所作を演出できる監督も演じることができる者もいない。

テレビまたは「製作委員会」主導のビジネスモデルは、映画の振興なんぞこれっぽちも考えていない。
それは観客動員数において長らく洋画優勢だった状況を逆転し、日本映画優勢の原動力になった。けれども、質を伴っていない。しかし、質の低い映画に人が大挙して押しかけるという不思議な状況がなぜか続いている。
テレビで無料のドラマを見ている人をシネコンに誘い出し、カネを出させるという集金システム。それは映画というよりもイベントに近い。
この仕組みの最悪なところは、顧客満足度を追求していないことだ。
テレビ局の思惑、広告代理店の思惑、大手タレント事務所の思惑、おこぼれに与りたいマスメディアの思惑を優先し、客を省みない。
映画という仕組みに乗っかって儲けようという連中がたかっている。驚いたことにその中に映画会社も含まれている。
だから、まともな映画にはならない。
そんなビジネスに過度に依存しているといつかひどいことになるように思う。

日本映画の将来の現状はやはり貧しい。
そして、先が見えていない。


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