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2016/01/05

『スター・ウォーズ フォースの覚醒』と日本のアニメ

『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』が公開された。
劇場では大ヒットしている。

でも、レンタルが始まったら観るという人が多いと思う。
日本では大半の人が、レンタルDVDやテレビ放映で映画を鑑賞している。大ヒット作といっても、殆どの人は映画館では観ない。
2014年の映画館入場者数は約1億6千万人。
国民一人あたり、1.3回くらいしか映画館に行かないという計算だ。そして、全人口の6割くらいの人たちは映画館に足を運ばないで、レンタルDVDやテレビ放映、あるいはネットの有料配信で映画を観る。
『フォースの覚醒』についても、半年くらいあとで、DVDやBlu-rayがリリースされたら、TSUTAYAにでも行って、DVDを借りて観ることを考えている人も多いと思う。
そういう皆さんに言いたい。

『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』は130分、たっぷり楽しめる映画です。娯楽映画としてのツボをしっかり押さえてるので、飽きるところがない映画です。
『スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望』の公開から40年になろうとする時間が過ぎました。〈スター・ウォーズ世界を構築するSFX/VFXの目覚ましい進化には目を見張ると思います。
3D映画としても、うまい見せ方がしてあって飽きません。
劇場で、それもできるだけ大きなスクリーンと良い音響設備がある映画館で、3Dで観た方がいいと思います。
ネット上の酷評を読んでそれを鵜呑みにして、「観なくてもいいや」だとか「レンタルで観ればいいや」というひとは損をします。
そういう映画です。



『スター・ウォーズ』第1作の頃の熱狂から、エピソード7に到る『スター・ウォーズ』にまつわる様々なエピソード。映画できるまでには様々なものがたりがある。
それを知ると、『フォースの覚醒』が更に楽しめると思う。



『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』は、長年の『スター・ウォーズ』ファンにはうれしい映画だ。
『エピソード4』をどことなく思わせるつくりになっている。
だけど、それだけじゃない。
<新しいスター・ウォーズ>の道すじもきちんと描かれている。
そして、それは日本の映像の創り手たちともどこかつながっている。
 『スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』で子熊さんたちのダンスをジェダイの3人の騎士の幽霊が見ているというなんとも言えないラストから苦節32年。やっと「その後」のものがたりが描かれた。

ジョージ・ルーカスは『スター・ウォーズ』は6本でおしまいと宣言していたが、それが覆され、彼がエピソード4当時に言明していた9部作で作られることになったのだ。
どうでもいいことだけど、最近の『スター・ウォーズ』の記事では『スター・ウォーズ サーガ』と言わなくなったんだな。
『エピソード4』の前のおはなしが描かれる『エピソード1』が公開されたのは、エピソード6から16年経ってからのことだった。
しかし、そこからの3本は面白くない映画だった。金をかけて作っているのはよくわかったものの、『エピソード4』と『エピソード5』にあった高揚感はなかった。
エピソード1からエピソード3までの、つまらなさと退屈さにひたすら耐えた人々への福音がもたらされるまでさらに10年の時間を要した。
『スター・ウォーズ』の権利はディズニーに買われた。
ディズニーはジョージ・ルーカスJ.J.エイブラムスが呼ばれ、ジョージ・ルーカスの構想したものとは異なる世界が作られることとなった。
J.J.エイブラムスはオタクでテレビドラマでSFものを次々と作ってきてスティーブン・スピルバーグが好きで、Star Trekが好きで怪獣映画が好きで本多猪四郎も伊福部昭も好きでスター・ウォーズもおそらくはエピソード4エピソード5エピソード6が好きでエピソード1エピソード2エピソード3も好きなヤツだ。そして、日本のアニメを丹念に見て栄養にしているヤツだろう。
そういうヤツが『スター・ウォーズ』の今後を任されたのである。

『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』は、レイという名の女性が主役である。 ヒロインのレイを演じているのはほぼ無名の女優。
砂漠に打ち捨てられた巨大戦艦などから使えそうなものを取り、それを売ることで糊口をしのぐ、孤独な少女だ。
映画のなかで、レイのバックグラウンドはほとんど説明されない。謎に包まれたまま、ものがたりは進んでいく。
彼女は目に力がある。凛とした美しさがあって、アクションもできて非常に良い。
レイは、BB-8というロボットとの出会いをきっかけにして、帝国軍とレジスタンスとの闘いの渦中に巻き込まれるのだ。
BB-8は、秘密を体内に隠している。
それは、失踪したジェダイの騎士・ルーク・スカイウォーカーの居場所だ。帝国軍/ファーストオーダーはルーク・スカイウォーカーを追っていたのだ。

『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』のもう一人の主役はフィンという青年。かれは、もとストームトルーパーである。捕らえられていたレジスタンスのパイロットと一緒に逃げ出して、レジスタンスに加わるのだ。
フィンはちょっと間抜けな人物で、凛としてヒロイン然としたレイといいコンビになっている。応援したくなる実にいいヤツだ。
古い例えで恐縮だが、『仮面ライダー』に出てくるショッカーの戦闘員のひとりに焦点を当て、本郷猛と共闘するようなものだ。
ああ、その手があったかと、観ていて感心した。
『フォースの覚醒』に登場するストームトルーパーは、クローンではないらしく、それぞれが個性を持っているようである。

レイもフィンも、そして敵として登場するカイロ・レン、いずれもまだ何者ともしれない若者たちだ。『スター・ウォーズ』最新作は、「ここではない他の場所」をめざす若者たちの瑞瑞しいものがたりでもあった。
創り手たちは、『エピソード4 新たなる希望』のルーク・スカイウォーカーの道すじをトレスするように見せつつ、もっと思い入れしたくなるような人物たちを描き出した。

『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』は、観終わったあとであれこれと思いを巡らすのも楽しい。
この映画には、明らかに日本のアニメとの近似性が見られる。

ヒロインのレイは宮﨑駿監督の『風の谷のナウシカ』によく似ている。というよりも強い影響を受けて作られたキャラクターとであると思える。





『スター・ウォーズ』は、もとより様々な映像作品からの影響や引用が見られる映画だ。だから、『フォースの覚醒』がそうであったとしてもおかしくはない。

『スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』公開は1983年。
その翌年の1984年、『風の谷のナウシカ』が公開された。
以来、宮﨑駿の数々の映画は、世界の映像作家たちに大きな影響を与え続けてきた。
いや、宮﨑駿だけではない。
80年中葉以降の日本アニメは映画監督はじめ、創り手たちに大きな影響を与えてきた。
『マッドマックス』のジョージ・ミラーは「宮﨑駿は神である」と語り、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロは日本のロボットアニメに最大限の敬意を払いつつ、巨大ロボットものの映画を撮った。
富野由悠季、大友克洋、押井守、川尻善昭、今敏、神山健治、細田守・・・
彼らの作品が世界の映画人にいかにインパクトを与えてきたか。
どれほど多くの映画に、その影響を見ることができることか。
J.J.エイブラムスをはじめ、『フォースの覚醒』の創り手たちもその影響を強く受けていると考える。

この映画からは、『風の谷のナウシカ』だけに留まらず、設定やデザインなどに日本アニメにつながるようなものが散見される。
強いヒロイン、それと一緒に行動するのはボンクラな男子、コンプレックスに苛まれる悪役、そういう人物設定のアニメは日本のアニメではおなじみのものではないか。

帝国軍/ファーストオーダーは粗雑で、ふた昔前のロボットアニメに出てくる敵組織みたいだった。
この辺が批判を浴びる一因になっているかもしれない。

『スター・ウォーズ』は元ネタ探しが楽しい作品である。
今回は日本のアニメからの影響について述べたが、『老荘思想』からの影響だとか『武侠片』をお手本にしているのではないかとか、そういう説もある。

予習してから見ると、もっと映画が深く楽しめる。
『スター・ウォーズ エピソード7 フォースの覚醒』は、1977年、日本では1978年に『エピソード4 新たなる希望』を鑑賞して熱狂して以来ずうっとファンをやっている人たち、つまり齢を重ねたオールドファンたちが随喜の涙を流す仕掛けがある。
『エピソード5 ジェダイの帰還』から30年後の世界を描いており、その時間の経過を観せてくれているのだ。
『エピソード4 新たなる希望』『エピソード5 帝国の逆襲』を観てから映画を見るとより楽しいはず。

しかし、これはレトロスペクティブな映画ではない。
新しいものがたりへのイントロダクションだ。




 

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