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2014/02/28

宇宙戦艦ヤマトの堕落史1|The Begining

「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」に対する深い失望から3年、2013年9月、「宇宙戦艦ヤマト2199」は好評のうちに放映を終えた。
昔からのヤマトファンの多くにとって、「宇宙戦艦ヤマト2199」が放映された半年は夢のような時間だったのではないだろうか。
また、ヤマトファンであり続けたことで負ったこころの<傷>が癒やされた時間ではなかっただろうか。

少なくとも、私はそうだった。

宇宙戦艦ヤマトの堕落史0」で書いたように「宇宙戦艦ヤマト」のファンになった人たちは、 ある時期からヤマトファンであることに傷を負うことになった。
かつて夢中になった「ヤマト」に泥にまみれ、転落していく様子を目の当たりにしてきたからだ。
彼ら、彼女らは「さらば宇宙戦艦ヤマト」以降に作られた「ヤマト」と名乗る作品の出来のひどさ、「ヤマト」の周辺に起きたひどいスキャンダルに心を痛めてきたのだ。

ファンは、最初の「宇宙戦艦ヤマト」の面影を追いかけて映画館に足を運ぶ、もしくはチャンネルを合わせては失望を味わうという繰り返しだった。

予兆めいたものは、1977年「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版映画の前後にすでに現れていた。
だって、この「映画」、もともとはタダで見せていたものなんだぜ。それに値札つけて売り始めたんだぜ。




「宇宙戦艦ヤマト」   全26話  1974年10月ー1975年3月


1973年、日本は暗いムードに包まれていた。高度経済成長が終わり、原油価格の高騰によって石油ショックが起きて、トイレットペーパーが買い占めされたりした。雑誌は紙やインク代が上がったせいなのか、ページ数が激減した。エネルギー節約のためと称し、テレビ放送は12時になると終わった。
本屋に行けば、「人類は1999年に滅亡する」とセンセーショナルに煽るノストラダムスの予言本や小松左京の「日本沈没」がベストセラーになった。





永井豪の「デビルマン」でも、人類が滅亡したあとの黙示録的な世界が描かれた。

このような暗い世相を「終末ブーム」 と言った。
 「終末ブーム」を反映したのか、1974年の秋、「滅亡に瀕した地球」の赤茶けた姿から始まったのが「宇宙戦艦ヤマト」である。
しかし、裏番組に「アルプスの少女ハイジ」という高視聴率番組があった。
そのため、視聴率が振るわなくて、全39話の予定が26話で終了した。企画時には52話が構想されていたので半分になってしまったのだ。
「ハイジ」は演出に高畑勲、場面設定・場面構成に宮崎駿が参加していた。作画には芦田豊雄も参加していた。彼は「ヤマト」でも作画監督を務めている。
TBS系列では、小松左京、豊田有恒、田中光二が原作を担当した「猿の軍団」というSFドラマを放送していた。
「宇宙戦艦ヤマト」は1975年秋以降、全国各地で再放送された。
その結果、徐々に人気が高まって、ファン活動する人が現れた。全国各地で「ヤマト」のファンマガジン(同人誌)を作る人が現れた。「宇宙戦艦ヤマト」を紹介するその中には今で言う「二次創作」がけっこうあった。(私も、仲間と一緒に二次創作をしていたのだけれど)
 ファンマガジン(同人誌)を作る人、ファンクラブ活動をする人の中には。出渕裕や氷川竜、唐沢俊一などがいた。庵野秀明も夢中になってヤマトを見ていたと述べている。
ヤマトにインスパイアされてアニメ業界やマンガ業界、玩具業界などに足を踏み入れた人は少なくない。

 1977年に創刊されたみのり書房のサブカル雑誌「OUT」(アウト)7月号で『君は覚えているか?「ヤマト」の熱き血潮を!!』がバカ売れしたことは特筆すべきだ。
「OUT」のヤマト特集が呼び水になって、「アニメージュ」や「アニメック」をはじめ、アニメ雑誌やムックが書店に並ぶようになった。
そんなアニメ雑誌を購入したのは、中学生から社会人まで、幅広かった。
当時のアニメ好きの者たちは、アニメ情報の飢餓状態にあった。
「宇 宙戦艦ヤマト」は、かつてはアニメを卒業すると見られていた高校生、大学生、さらにはオトナたちが強く支持した。彼らは同人誌を作ったり、ラジオ局のリクエスト番組に「宇宙戦艦ヤマト」主題歌をリクエストしてブームを盛り上げたり、サントラ盤を買ったり、アニメ雑誌を買ったりした。

ヤマトがきっかけになって、中高校生・もしくはそれ以上の若い人を顧客ターゲットとして映像ソフトやサウンドトラック、書籍やキャラクター商品を売るという、アニメ・ビジネスのひな形ができたのではないだろうか。
その意味では、鉱脈を掘り当てた作品と言える。
とくに、アニメのサウンドトラックという、新しい市場を創りだしたのは意義深い。






そうか、それならば、1974年版の「宇宙戦艦ヤマト」を見ようかな、そう思う人がいるかもしれない。
もしあなたが目の肥えたアニメファンだとして、「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズを見たいと希望しても、積極的には薦めない。
これは1974年のTVアニメであり、作画の水準はバラつきがあり、総じて高くないからである。テレビ放映当時、夢中になって視聴したファンの、「思い出補正」でもないと見られないんじゃないかと思う。




「宇宙戦艦ヤマト」 劇場版 1977年

思えば、「ヤマト」とヤマトファンの奇妙な旅は、このいびつな劇場版アニメから始まったのかもしれない。なにしろテレビでただで見せていたものを切り貼りしたものを、金を取って見せる映画に仕立てたシロモノなのだから。

再放送で人気に火がついた「宇宙戦艦ヤマト」、次なる動きは「劇場映画化」だった。
1977年8月、テレビシリーズを再編集して、ほんの少し新作カットを追加した劇場版「宇宙戦艦ヤマト」が公開された。
これは、西崎義展が海外での公開を目論んで再編集したものであるという。
新作カットはイスカンダルのシークエンスに使われた。スターシアは死亡しており、立体映像で登場する。

短い尺のなかで話を完結させようという意図だったんだろうか。
これは劇場に足を運んで見た。
当時家庭にあったテレビは小さかったから、劇場の大きなスクリーンで見るヤマトは、なんか違って見えた。大きな画面はいいものだと思った。
が、スクリーンでは彩色ミス、撮影ミス、テカリ、ホコリ、ゴミも目立った。

新作部分はひと目でわかった。

「宇宙戦艦ヤマト」TVシリーズは35ミリで撮影
されたもので、当然、それを再編集したものも35ミリだ。その中で、新作部分は予算がなくて16ミリで撮られている。ブローアップがうまくいかないせいなのか、粒子がとても粗かった。ザラザラした画面だった。

なお、 劇場版「宇宙戦艦ヤマト」はテレビ放映された時には、スターシア生存、古代守イスカンダル残留というストーリーにして、TVシリーズの映像を再編集して差し替えた。
 「スターシア死亡」が不評だったからだ。
「宇宙戦艦ヤマト」が日本で上映される直前、アメリカでは「スターウォーズ」が大ヒットを記録、大ブームとなった。
その熱狂ぶりは日本にも伝わってきて、SFファンは「スターウォーズ」上映を待望した。
当時、映画雑誌や若者向け雑誌の中には、ヤマトのことを<日本のスターウォーズ> などと紹介する記事があったように思う。TVアニメの再編集で作った映画と予算と時間をかけて作られた本格的なスペースオペラ映画を比較するのは無理があると思った。
しかし、そういった記事は、「宇宙戦艦ヤマト」の観客動員に少しは追い風になったのかもしれない。
公開後、劇場版は思わヒットとなった。

上映する映画館が徐々に地方に展開、増えていった。最終的には9億円の興収を記録した。その結果なのか、翌年の続編公開が決定してしまった。

テレビシリーズのファンは、劇場版「ヤマト」の興行的成功に貢献し、ブームの到来と続編製作決定のニュースに狂喜乱舞した。

「宇宙戦艦ヤマト」劇場版のヒットで、その後「劇場版アニメ」が次々に劇場で公開されることになった。
この映画の興行的な成功によって「TVアニメを再編集して劇場公開する」というビジネスが確立した。「タダで放映したものをダイジェストした映画」という安直なシロモノが公開されるという、安直な方法が確立したのだ。
それは、今に至るも続いている。

テレビでタダで見たものでお金を稼ぐというのはなんか嫌な感じ。
この作品は「映画」と称しているが、実際のところはテレビ放映を前提に作られたフィルムを切り貼りしたものだ。
タダで見せたものに値札を付けて売ってみたら、意外にも高く売れた。続編の話も決まった。
で、ヤマトは主として西崎義展の財布を大いに潤し、金づるとしてレイプされるに任せるだけの作品になっていくのだ。




「宇宙戦艦ヤマト」劇場版は、驚いたことにBlu-ray版も売られている。
正直なはなし、クオリティは高くないということはお断りしておく。



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